郡司

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蝶よ花よ

強い風にも損なわれるもののように、親が言わば「防風林」よろしく守りをかためて育てる様子が思い浮かぶ。最近ではとんと聞かなくなったが、昔は冗談めかして「蝶よ花よと大事に育てて…」と聞こえてくる言葉だった。

身近にそのような環境の子どももいなかったから、遠い遠い世界の話という印象がある。お姫様とか、政に関わらない王子様とか、あるいは比喩的にそのような人々。

庶民的感覚で「お姫様たち」に見える人々はどうだったのかと言うと、現実には“大切に育てられた”のとはちょっと違うようだ。ベクトルが違う。

日本での武家の姫様は、厳しく折り目正しく、「かくあるべし・皆の範たれ」が、生活の細かなところから生きざままで貫くことを要求された。私なら息苦しくて胸の病になりそうだ。

ヨーロッパの姫様は、自分らしさを制限されがちだったようだ。つまるところ、婚姻という政治的手札として優れることを要求された。多くの場合、頭が良いなど邪魔な資質として疎まれ、あれこれできる手腕など火種になりかねないとして、端から遠ざけられた。“侯爵令嬢”という看板のある姫様でも、「自分自身という個人の力」を封じられたので、無力感の虚しさの中にあることなど珍しくなかったようだ(フェミニズムという考え方は、このような扱われ方に対して静かに「NO」を行動する、というものだ。自主自立の力のあることと、自由に意志する尊厳があることを、広く知らせるというムーブメントだ)。

「蝶よ花よ」という言葉は、「大事に育てる」という意味合いで使われる。…が、私はうちの子ども達をそのようなニュアンスの中には置いていない。寧ろ、「蝶は蝶、花は花、あなたはあなた。蝶も花もそれぞれに良きものだけど、あなたの良さは蝶にも花にも収まるものではない。さっ、自分を鍛えるのよ!」などという方向へけしかける。ゆくゆくは、自分自身を大事に育み続けることができるように。

蝶より強く、花より大きく、美しい自分らしさを。

8/9/2024, 7:00:06 AM