アシロ

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 ヒラヒラと止むことなく空から舞い落ちてくる雪の結晶。視界に入る限り何処までも積雪した道が続き、その左右にポツリポツリと家々の穏やかな灯が燈るのが確認出来る、とある村の入口。
 頭から足までバリバリに防寒具で身を固め、左腕に小さなバスケットを提げ、あまりの寒さにブルブルと体を震わせその場から動けないでいる目付きの悪い少女が一人、おりました。
 少女は両腕で己の体を抱き締めるようにし、ほんの僅かな熱をも逃がすまいと必死になり、ガタガタと震える唇で呟きました。
「な、ッな、なんッでこんな、さみぃ日にッ! 商売なんざしなきゃッ、ッなんねぇんだよ······ッ!!」
 鼻水が垂れてくる感覚を覚えズビーッ! と大きな音を立てながら奥へと啜り、少女はハァ······と一つ息を吐きます。その息は当然のようにくっきりとした白色で、もはやそれが自分の息なのか空から落ちてくる雪なのか少女にはよくわからなくなっていました。
「大体ッ! こ、こんなッさみぃ日に! わざわざこんなモン買いにッ出てくる物好きなんてッ、い、いるわけッあるか······!!」
 そう言いながら、少女は己の商売道具が入ったバスケットへとチラリと視線を遣ります。濡れないようにと一応お情け程度に広げたハンカチを上部に掛けてきたはいいものの、この降り続く雪の前ではそれも無駄な抵抗だったのかもしれません。商品を守るために身を呈して雪に晒され続けたハンカチは、とっくのとうに水分で湿り果てていました。自分の役目は終わった······とばかりに。
「ハッ、ハァッ······やべ······寒すぎて······このままだと、死ぬ······」
 少女は動かぬ足へ叱咤し、のろのろとその場から移動を始めます。そうして入口から一番近くの家の軒先へ辿り着くと、その場で蹲り、凍えて上手く動かない手で何とかバスケットの中をまさぐり、商品の一つを取り出しました。
「あーーーー無駄にパッケージにビニールなんてつけやがって······変なとこで職人魂出してんじゃねぇぞクソ親父が······!!」
 少女はやっとの思いで商品──タバコ──の蓋を開けることに成功します。震える指でその中の一本を取り出し、ガチガチ歯の鳴る口にどうにか入れ込み、赤地に「夜露死苦!」「天上天下唯我独尊」などといったよくわからない柄が施されたミニスカートのポケットからオイルライターを出し、カチッ、カチッと音を立てながら親指を何度も押し込み、そうして漸くまともに火柱が立ったライターへ顔を近付け、タバコの先端部分を大雑把にその火柱へ突き入れました。
「あ゙〜〜〜〜······ライターあったけぇ〜······タバコうんめぇ〜〜〜······」
 煙を吐き出し、少女は恍惚とした表情で意味もなく中空を見つめています。
「商品に手ぇつけるのなんていつものことだし······あの馬鹿親父、バスケット空にして帰りさえすりゃ小遣いくれるし······そもそも仕入れ値500イェンのもの550イェンで販売してろくな利益出るわけねぇーーーだろ頭腐ってんのか」
 ······などと、父親への悪態をこれでもかと零しながら、少女は再びタバコへ口をつけます。肺いっぱいに煙を吸い込み、吐き出した時······目の前に、如何にも紳士然とした風貌の男が立っていることに気が付きました。少女はそれまで何処かの国のヤンキーと呼ばれる人種がよくすると言い伝えられている、女性がするにはあまり品があるとは言えない座り方を平然としていましたが、その男を確認した途端即座に乙女らしい座り方へと体勢を変えました。その時間、僅か1秒にも満たなかったとか。
 男は縦長のハットを少しばかり上へずらしながらニコリと少女に微笑みます。しかし可哀想に、寒さにより全身は産まれたての子鹿のようにガクガクと震え、ダンディなチョビ髭には雪が積もっています。それなのに、その男の醸し出す雰囲気は上流階級として常日頃振る舞う者、まさにそのものでした。少女とは天と地ほどの品格の差があるであろうと、如何に学のない少女であっても一目見れば理解出来るほどでした。
「こんばんは、麗しいお嬢さん」
 流石は上流階級。普通であればこの酷い寒さによりまともに言葉を発することなど出来ないはずなのに、まるで普段通りといった感じの流暢で柔らかな発話をするこの男。やはり只者ではない、と少女は感じ取りました。
「い、いらっ、いらッしゃい、ま、せ」
 とにもかくにも、客を逃すわけにはいかない。吸っていたタバコを片手に持ち、震える声で挨拶をし、そして商品の入ったバスケットを何とか自分と男の間に置くことに成功しました。
「ふむ······お嬢さん、こちらには全部で何個、商品が?」
「え、あッ······え、っと······」
 少女は急いで湿ったハンカチをバスケットから引っ掴んで中身がしっかり見えるようにし、個数の把握をしていなかったため慌てて目測で数え始めました。頭の中で5個まで数えた辺りで、男がフッと穏やかで温かな小さな笑みを零した音が聞こえました。
「そちらにあるもの全て、買わせて頂いても?」
「はッ、はいッ! え、と······ろく、なな、はち······きゅッ、9個全てお買い上げ、ッですね!」
 そう少女が確認をすると、男は穏やかな顔を保ったままフルフルと首を横に振りました。少女は意味がわからず、困惑気味に首を傾げます。
「ほら、そこ。······今、君が吸っている箱。そちらも買い取るよ」
「えッ!? いや、ッそ、れは······! こ、これはア、アタ······わ、わわ、わたしが手を付けてしまったものなので······! 商品としてお売りする、わけにはッ······!」
 そう言い、少女が申し出を断ろうとすると······紳士は少女の目の前でしゃがみこみ、もう既に全て灰と化してしまったタバコを持ったままの少女の手、その両方ともを優しく自分の手で包み込み、こう告げました。
「君が手をつけてしまった······ということは、君のものか······。それならば、君ごと買い取らせて頂いても?」
 少女は包み込まれた両手を見、「こいつ手ぇめっちゃ冷た··················」と思いながらも、コクコクと首を縦に振りました。念願の玉の輿を逃す手はありません。
 少女の返答を満足そうに眺めてから、男は徐に全てのタバコの封を開け、中身を出し、その全てをまとめて片手でギュッ!! と握り締めると、自分のスーツのポケットからジッポを取り出し······そして、突然鬼気迫る表情で叫びました。
「ファイヤーーーーーーァァァァアア!!!!!!!!!」
 その瞬間ボッ! とジッポがタバコに着火し、辺りは瞬時にとんでもないヤニ臭さに覆われました。それはあまりに強烈で、少女も、火をつけた男本人でさえもゲッホゲッホと嘔吐いてしまうほど強烈なものでした。
 一頻り嘔吐き終わった後······男は微笑みを携えながら、少女に向けてこう言いました。
「ほうら、温かくなったろう?」
 少女も微笑み······言葉を返しました。
「いや、全然」

 ······その後二人は何やかんやと結婚し、少女の父からたまにタバコの仕送りをしてもらっては二人で仲良く嗜み暮らしたそうな。
 めでたし、めでたし。

1/11/2025, 1:42:55 PM