その村は、降り続く雪に閉ざされようとしていた。
「ここ、だよね?」
辺り一面の雪景色に、燈里《あかり》は手紙に書かれている住所に目を通しながらも眉を下げる。まだ昼前の時間だというのに、村はひっそりと静まり返っていた。
「ここだよ。間違いないから大丈夫」
戯れに足元の雪を蹴り上げながら、楓《かえで》は肩を竦めてみせる。燈里よりも小柄な彼女では雪道を歩くだけでも一苦労だ。
「楽しめって言われても、楽しむもんは何もねぇな」
雪に埋まりかける楓を抱えあげ、冬玄《かずとら》は眉を顰めて溜息を吐いた。村を一瞥するその表情には、不満や疲労が浮かんでいる。
「ご、ごめんね。まさかこんなにも過疎化しているなんて思わなくて」
二人の様子を見て、燈里はさらに眉を下げる。正月の休み疲れが抜けない内に、朝早くから電車とバスを乗り継ぎ車を借りて訪れた場所がこんなにも人気のない村であるとは予想していなかった。
雪かきの跡がなければ、それこそ廃村だと言われても納得してしまうほどに村には人の気配がない。まるで何かから隠れ、やり過ごそうとしているようにも思えて、燈里は不安に視線を彷徨わせた。
「あれ……?」
何気なく山の方へと視線を向けた時だ。雪の白とは違う色を認めた気がして、燈里は首を傾げた。
目を細め、違和感を覚えるその場所を注視する。白とは違う深い青。木肌とは異なる藁蓑に小さく息を呑んだ。
離れていても、何故だかはっきりと見える。どこか獣にも似た青い面は、右目から頬にかけて大きくひび割れ欠けてしまっている。だが、その奥に見えるだろう顔はおろか、目すらも黒く塗りつぶされたように僅かにも見えない。大柄な男の影が面を被り、藁蓑を纏っているかのようだ。
その右手に握られているものを見て、燈里は眉を寄せた。刃物にしては細く長いそれは、杖のような印象を受ける。
それが何であるのか。さらに目を凝らすと、不意に視界が黒に染まる。
「冬玄?」
香る蝋梅に燈里は冬玄の名を呼ぶ。目を覆う手に触れれば、外される代わりに肩を引き寄せられた。
「何を見ているか知らんが、あまり山を見るんじゃない。魅入られるぞ」
優しく、それでいてどこか険しさを滲ませる冬玄の言葉に、燈里は小さく頷いた。
人ならざるモノに魅入られることの恐ろしさは、彼女自身痛いほどに理解している。心を鎮めるように目を閉じ、一つ深呼吸をしてから目を開けた。
もう一度山に視線を向けるも、雪以外に見えるものはなかった。
「ねぇ、冬玄。何か感じる?」
視線を逸らすと、燈里はふるりと肩を振るわせた。燈里の問いに、山から隠すように強く抱き寄せながら、冬玄は囁いた。
「いろいろ、だな。信仰や未練なんかが全部混ざってる感じだ」
「山ってそういう場所だからね。畏れ、祈り、喜び……与えられるものに感謝して、奪われるものに執着する。それらがどろどろと混ざってひとつになって、山に満ちているんだよ」
冬玄の言葉に付け加え、楓は溜息を吐いた。
「燈里が見たのは悪いモノじゃない。ないんだけど、混ざり過ぎてよく分からないな。ただこの場所は、山と村の境界が他よりも強く感じるね」
笑顔の中に困惑を色濃く浮かばせ、楓は山を一瞥する。
楓は燈里がまだ学生時代の時、とある廃村の怪異に巻き込まれた際に出会った妖だ。その後紆余曲折を経て、今は彼女の記憶や感情を共有する存在となった。
同じものが見えた故の楓の言葉に、冬玄は眉を顰める。
「何を見た?」
燈里に害のあるモノか否か。冬玄にとって、重要なのはそれだけだ。
危うさすら感じられる冬玄の思いに、楓は苦笑する。しかしそれには何も言わずに、多分と前置きしつつ答えた。
「ヒガタ。多分擬きかな?境界の向こうにいるせいか、はっきりと断言することはできないな。情報もほとんどないしね」
「おじさんたち、ヒガタを見たの?」
不意に見知らぬ声がして、冬玄は燈里を腕の中に隠すようにしながら振り返った。
いつからいたのか。村の入り口で少女が一人、こちらを見ていた。
「村の子?ねぇ、他の人間はいるかな?」
警戒心を隠し、楓は笑みを浮かべて少女に近づいた。楓と然程変わらぬ年頃に見える少女は、屈託のない笑顔を浮かべ頷く。
「いるよ。でも今の時期はほとんど誰も出てこないの。ヒガタが来るからね」
「あんたは出てていいのかよ」
身動ぐ燈里を抑えつつ、冬玄は問いかける。燈里の性格をよく知る二人は、お互い目配せし必要な情報だけを得ることに決めたようだ。
「わたしはお迎えに来たの。だっておじさんたち、手紙を読んできてくれたんでしょう?」
「あの手紙、君が書いたの?」
「それも全部お話しするから、わたしの家に来て。ばあちゃんに会って欲しいの」
少女の言葉に冬玄と楓は顔を見合わせる。
深く関わり合いになるつもりはない。だが話を聞かねば、燈里の仕事にならない。
悩むのは一瞬。
会話に混ざろうと踠く燈里を宥め、冬玄は静かに告げた。
「分かった。行くか」
「ありがとう!こっちだよ」
先導する少女について歩き出す。
「冬玄」
「あまり深入りするなよ、燈里」
「う、うん。気をつける」
結局は無駄だろうと冬玄は密かに嘆息した。
優しい燈里のことだ。相手に心を砕き、自身を犠牲にしても最良に向けて動くのだろう。
楓も同じように、考えているらしい。目が合い、お互いに眉を寄せた。
「気をつけてね。毎年、この時期だけは雪がたくさん降るの。小正月を過ぎると落ち着くんだけどね」
先を行く少女は、慣れたように雪かきの跡が残る道を歩いていく。それに続きながら、燈里は手紙の内容を思い出す。
ヒガタ。泣かない子供。雪。
見上げる山は、雪の白に覆われている。
そこにいるだろうヒガタという名の来訪神を思い、燈里はそっと冬玄に寄り添った。
20260107 『雪』
1/8/2026, 10:24:09 AM