川柳えむ

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 ぽた……ぽた……。

 どこからから、音がする。何か、水滴が垂れているような、そんな音。

 ぽた……ぽた……。

 忍び込んだ廃虚の静かで暗い部屋に、その音だけが響いている。

 ぽた……ぽた……。

 徐々に大きくなっていく。音が近付いている。
 音が、近付く?
 水漏れの場所が変わったとでもいうのか。そんなわけがない。

「ぽた……ぽた……」

 水滴の音だと思っていたそれが、人の声だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
 その声は、もう耳元まで迫ってきていた。

「ぽた……ぽた……」

 ずっと繰り返し囁いてくる。
 意を決して振り返った。
 そこには、薄く透き通った、上半身だけの老婆がいた。

 あまりの恐ろしさに声すら上げられず、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

「あら? 孫ちゃんに似てるから、つい近寄っちゃったわ」

 老婆の霊が「ごめんなさいね」と笑った。
 幽霊なのに、なんか軽い。

「孫ちゃんとどうしてもまた大好きな『ぽたぽた焼』が食べたくてねぇ。私も、ぽたぽた焼に目がなくて」

 ぽたぽたって、ぽたぽた焼かよ! あの柿の種とか販売してるメーカーの!
 あれが音じゃなくて口で言ってたってだけでもかなりギャグなのに!
 おどろおどろしい雰囲気漂わせておいて、そんなオチかい!

「ぽたぽた焼がもう一度食べられたら、きっと成仏できると思うのよねぇ」

 ちらちらとこちらを見てくる。
 バレているのか?
 仕方なく、俺はリュックに偶然しまってあったぽたぽた焼を取り出した。
 そしてそれを、朽ち果てかけた仏壇にそっと供えた。
 老婆の霊は嬉しそうな顔をして、静かに消えていった。

 何だったんだ全く……。
 でも、あの嬉しそうな老婆の顔を見て、なんだか自分も祖母に会いたくなってしまった。

 もう何もないよな? と、周囲をしっかりと確認してから、大きくて重い荷物を乱暴に置いた。荷物から微かな音が聞こえる。
 あぁ、まだ動けるんだ、この『荷物』。

「動くなよ」

 荷物に向かって囁く。
 くぐもった音が、布の向こうから聞こえた。

 それにしても、荷物と一緒にあったリュックに、たまたまぽたぽた焼が入っていて良かった。まさかそれが偶然――そう『偶然』、あの老婆の霊の好きなものだなんて。
 さてと。そろそろ作業に取り掛かろう。
 そして、この仕事が終わったら、久しぶりに祖母に会いに行こう。


『ささやき』

4/22/2025, 1:30:48 AM