私の名前はみどりという。
新緑の美しい季節に生まれたからというのがその由来だ。
両親は私の名前をとても気に入っていて、私自身もまんざらでもなかった。
幼い頃は新緑の季節になるたびに両親から、道端の草木の瑞々しく鮮やかな色を「みどりちゃんの色だよ」と教えられ、くすぐったくも嬉しく思ったものだ。まるで世界が私を祝福しているかのように感じられた。
そうして育った私は、当然緑色も大好きだった。幼稚園のお友達がピンクや水色の髪飾りを着けている中、私は絶対に黄緑の髪飾りが良かったし、中でも葉っぱの形をしたヘアピンは特にお気に入りだった。
大人も単純なもので、みどりちゃんには緑色でしょ、と思うらしい。孫を可愛がりたいばあちゃんや姪を甘やかしたいおばちゃんはもちろんのこと、家に遊びに来たママの友達たちもこぞって緑色の服や靴、おもちゃをくれた。
今もリビングの片隅には全身緑色を着て、満面の笑みを浮かべる5歳の私の写真が飾ってある。
つまり、私はまごうことなき「緑ちゃん」だったのだ。
それがいつからか、緑色を身に着けなくなった。きっかけは何だったのかはっきりとは覚えていないが、小学生の高学年になる頃には「緑じゃないのがいい」と言っていたような気がする。
お友達に「みどりがすきなんて、へん」と言われたからなのか、「みどりがすきだからあげるね」と給食のピーマンを勝手にお皿に移されたからなのか、文化祭の劇で使うかぶりものを、それは本当はピンクが良かったのに「みどりちゃんだからみどりでしょ」と決めつけられたからなのか(みどりはカエル、ピンクはうさぎで、私はカエルはあまり好きではなかったのだ)、たぶんこういう小さなことが積み重なって、私は緑が好きであることを辞めてしまったのだ。
とはいえ、切っても切り離せない自分の名前である。好きではなくなっても嫌いにはなれなかった。大きくなってからも「やっぱり緑が好きなの?」と聞かれることは度々あって、そのたびに「うーん、6番目くらいかな」と答えていたが、これはほとんどその頃の本心だった。6番目なんて、他の好きな色がなくなったときに消去法で選ぶ程度の「好き」だ。
そんなこんなで、「まごうことなき緑ちゃん」は「ただの普通のみどりちゃん」になって久しい。今や持ち物に緑色はほとんどない。
先日、友達に誘われてあるバンドのライブを観に行った。そこまで詳しくはないが、友だちに借りて何枚かCDを聞いたことがある。
ライブの中盤、軽やかなギターで始まった曲に合わせて会場の照明が一斉に緑色に変わった。よく聞いていると、歌詞の中に「みどり」という言葉が聞き取れた。ボーカルの優しい声が木漏れ日のようなライトの中で、まるで希望を紡ぐように「みどり」と歌っている。緑色をこんなに美しいと、こんなに好きだと感じたのはいつぶりだろう。今この瞬間、私は私の名前と緑色をしっかりと愛していた。
帰り道にコンビニで緑色のボールペンを買った。
明日の街路樹はきっと今日よりも輝いているだろう。
7/21/2024, 9:11:11 AM