『理想郷』
「おたくのご主人、浮気してるわよ」
そう忠告してくる人がいる。
いや、忠告じゃなくてからかっているか、馬鹿にしに来ているのかもしれない。
学生時代も「あなたの彼、他の子と一緒にいたよ」とかよく言ってくる人がいた。
人のことに首を突っ込んで、こちらが揉めるのを期待しているのがまるわかりだ。ワクワクしているのを隠しきれていない。
「あら、そうですか」
と答えると期待を裏切られたと憤慨するのだ。
だが、それも悪くない。
まるで私が、ちょっと突つけばショックを受けて涙を浮かべるようなかよわい人間のようではないか。
少なくとも相手はそう思って言ってくるのだ。
いい、実にいい。
帰宅した夫にそのことを話すと、彼も楽しそうに「いい傾向だ」と笑った。
食後にふたりで仕事道具の手入れをする。
血をふき取って錆止めをして、薬物の補充も忘れない。
私たちがどういう人間なのか知られずに、ごく平凡な家庭だと思われているこの状況は、得難い理想郷のようなものだ。
11/1/2024, 3:43:33 AM