“たそがれ”
空のほとんどを星空に乗っ取られ、地平線の彼方へと追いやられた太陽が最期に放つ夕日の強い光が真横から突き刺してくる中を、俺は待ち合わせ場所まで走っていた。約束の時間はもうとっくに過ぎていた。
気の短い彼女のことだ、もう帰ってしまったかもしれない。いや、そもそも来ていないかもしれない。遅れる旨の連絡には既読がつくばかりで彼女からの返事はない。信号待ちの間に横目でちらりと確認をしながら、上がる息を整える。
鈍ったな、とふと考える。衰えた、とはまだ思いたくない。三十路を過ぎ、デスクワークばかりになって、趣味といえば機械いじりと運動する機会はめっきり減ってしまった。少し前まではジムに通っていたけれど、なんだかんだと足が遠のいてしまっていて、風呂上がりのストレッチくらいでしか体を動かすことがなくなっていた。
短く息を吐きながら、ひたすら目的地まで走る。やっぱりジムに通うか、ランニングでも始めるか。悲鳴をあげだす体には気づかないふりをして、最後の関門である緩やかな坂を登り切ると、人気のない小さな公園の柵にもたれ掛かる様にして立つ人影が見えた。強い夕日の光のせいで夕日に背を向けて夜空を眺める彼女の顔ははっきりと見えないけれど、それでもあのまあるい頭の形は見慣れた彼女のものだった。
あと数歩、というところで息が上がって立ち尽くす俺を彼女が首だけ回して振り向いた。
「いいご身分だな、急に呼びつけておいて一時間も待たせるなんて」
「……ごめん、急なトラブルがあって」
でも、君が来てくれるなんて思わなかった。そう言うと、顔の半分を夕日で照らされもう半分はその影に飲み込まれた彼女がふん、と鼻を鳴らした。
「誰かさんが情けないメッセージを寄越すから、どんな情けない顔してくるか気になっただけ」
「俺、今情けない顔してる?」
一歩二歩と近づいてくる、相変わらず憎たらしいほど自信に溢れた顔つきの彼女に問いかけながら自分の顔に手のひらを当てる。そういえば、最近は最低限の身なりしか気にしていなかったな。もうちょっとちゃんと整えてくれば良かった。走ってきたから、髪も乱れていることだろう。いつだってサラサラの彼女の髪が歩く度揺れるのを横目に顔に当てた手を髪に伸ばそうとしたところで彼女整えられた綺麗な爪先が俺の眉間をトンとついた。
「いつも通りの情けない顔だな」
「……いつも通り、か」
ありがとう、ふと口をついた言葉に彼女がやっぱりふん、と鼻から息を吐く。会うのはもう何年ぶりだろうというのに変わらない彼女の態度に心がじんわり温かくなっていくのを感じた。
10/1/2024, 12:52:03 PM