sairo

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「もしもさ、過去か未来に行けるとしたら何がしたい?」
「…あぁ、昨日のドラマにタイムマシンが何とかってやってたな」
「見てないの?語りたかったのに」

頬を膨らませ不機嫌さを露わにする彼女に溜息を一つ吐く。

「残念でした…で?過去か未来に行けたらだっけ?そっちはどうなの」
「私?そりゃあもちろん、未来に行って宮司様とどうなっているか見に行く」

当然と笑う彼女はこの前の連休で出かけた先でいい出会いがあったらしい。とても生き生きとしている。青春だな、と微笑ましく見守りながら、次の授業まで少し寝ようと机に伏した。

「ちょっと。答えたんだから、寝ないで答えてよ」
「えー?」

体を揺さぶられながらそう言われてしまえば、このまま寝る事なんて出来やしない。仕方なしに顔だけを彼女の方へと向けた。

「そうだねぇ……過去に行って会いたい人は、いるかな」

それだけを呟いて、今度こそ寝に入る。さらに詳しく聞き出そうとする彼女の声は、聞こえないふりをした。





「夕食の時間ですよ」

静かな声に目を覚ました。
体を伸ばして欠伸を一つする。頬についた畳の跡や乱れた髪をそのままに、与えられた部屋から出る。

相変わらず辛気臭い場所だ。そう思ってしまうのは、この寺で行われた事を知っているからか。それとも寺の裏にある池の底に沈んでいるものを知っているからか。

ちゃんと歩きなさい、と誰かが窘め。
法師様に失礼のないようにね、と誰かが囁く。

そんなこと分かってる、と声に出さずに呟いた。



「変わりはありませんか」
「はい。何も」

二人きりの夕食後、茶を入れながら住職に尋ねられる。
それに何もないと答えるが、ここに連れられた時点で何かがあった事は彼にも分かっているはずだ。

「少なくとも、私自身には何も。いつもの発作が起きたくらいです』

父がどこまでを知って住職に話しているか分からない。当たり障りのない事実だけを報告し、手渡された湯呑みに口をつけた。

ちゃんとお話ししないと駄目でしょう、と背後から声がする。
法師様、この子の偽物が出た様ですよ、と影が告げる。

法師様、法師様、法師様、法師様。

私のものではない、私にしか聞こえない四つの声が慕う様に目の前の住職を呼ぶ。

「貴女のそれは特殊なものなのですよ。いつもの事だと甘く見ては行けません」
「申し訳ありません、住職様」

静かな、穏やかな声。心配そうに曇る表情。
誰からも好かれる、優しい住職。

友人である父は知らない。おそらく住職自身も覚えてはいない。

遠い昔、この場所で法師だった住職が行った事。国のためと大義を抱え、たくさんの孤児を人柱や生きた形代として使い潰した過去を。法師のためと呪を胎に施し、呪いを撒いた少女達がいた事を。

私と四人の声だけが覚えている。
私だけが住職を今も憎んでいる。


「どうかしましたか?顔色が優れないようです」
「いえ、大丈夫です…少し疲れているので、これで失礼させて頂きます」

これ以上住職の顔を見れず、部屋を出る。
思い出す必要のない記憶に、頭が痛くなりそうだ。

声は聞こえない。
心配しているのか、呆れているのか。
自分や他の子らにされた事を分かっていても尚、声は住職を慕い続ける。孤児だった自分達には他に選択肢はなく、そもそも彼に拾われなければ飢えて一人死ぬのを待つのみだったからだ。
愛されて、必要とされて死んでいける事が幸せだと誰かが言っていた事を覚えている。

それでも。
例え皆が納得していたとしても、どんな大義名分があろうとも、私だけは住職がした事を許せない。許してはいけない。


ふと、ここに来る前にした友人との会話の内容を思い出す。
もしもタイムマシンがあったなら、過去に行けるとしたら。

そんなの、やる事は決まっている。

法師様に出会う前の自分を連れて、どこか遠くに逃げるか。或いは。

いっそこの手で してしまうか、だ。




「……っ?」

ぐにゃりと歪む視界。いつもの発作だと気づいた時にはすでに、体は床に倒れ込んでいた。
目の前が青く、碧く、黒く塗りつぶされて。
息が出来ない。もがく事も出来ずに沈んでいく。

誰かの声。泣くような、嘆くような。

「彩《さい》っ!?」

どこか遠くで、法師様が。

昔の、何も知らないで笑っていた私の名を呼んだ気がした。



20240723 『もしもタイムマシンがあったら』











「私は幸せ者よ。こうして皆に愛されているのだもの」

人柱に選ばれた少女は、幸せだと微笑う。

「どっちみち死ぬんだからさ。それなら大切な人の役に立ちたいだろ?」

形代としてその身を苛む厄に苦しむ少年は、それでも役に立てるならばと笑う。

「法師様のためならば」
「法師様の邪魔をするやつなんて、いなくなってしまえばいい」
「大丈夫ですよ。法師様の敵はすべて呪いますから」
「ねぇ。次は誰を呪えばいいの?法師様」

呪いを唄う少女達は、皆口を揃えて法師様のためにと嗤う。

最後まで笑みを絶やさず。
最期まで死を厭わず。

「終わりは変わらない。一人孤独に飢えて死ぬか、皆に愛され看取られて死ぬかならどちらを選ぶかなんて決まっているだろう?蕾にもならず枯れるより、花咲いて散っていく方が素敵だと思わないかい?」

そう言って頭を撫でてくれたのは誰だったか。顔も思い出せないその人がくれたのは、優しさと慈しみだけだった。

「咲き終えて散った私をお願いするよ。他の散った子と同じように沈めて」

形代として生きたその人は、それだけを残し。しばらくして尊き方の厄を引き受け、散っていった。


散ったその人を棺に収め、沈めていく。
荼毘には伏せない。生きた形代はその身に溜めた厄が還らぬよう、封をされて水の底に留め置かれる。

法師様と二人。法師様と共に御務めを終えられた皆を見届けるのが、私に与えられた役目。

沈んでいく誰よりも優しかった人を見送り、ただ祈る。

「彩《さい》。儂を許すな」

祈る私に、法師様は告げる。

「どんな大義を掲げようと、皆が許そうと、儂の行いは外法でしかないのだ」
「はい。法師様」

頷いて、法師様の望む答えを口にする。ただの気休めにしかならず、本心ではない言葉と知りながら、法師様は何も言わず。優しく頭を撫でる、その手の温もりに目を伏せた。





一人きり。皆花咲いて、散っていってしまった。
法師様ももういない。

水面を見つめ、見届けた皆の最期を想う。
この水の底に沈むのは、人柱の腕。形代と呪いの亡骸。そして法師様。
合わせて三十。私を入れて三十一。


あぁ、と納得する。
法師様のくれた『彩』の意味。最後に施された最大の外法。
「許すな」と言った、その言葉の真意。

ようやく法師様の望みが。
法師様を許さず、憎む事が出来る気がした。


法師様はいない。昨夜、御祈祷半ばで亡くなられてしまった。
だからきっと、この術は完成していない。

それでも、と。
例え不完全であろうと、今ならばあるいは。
数は揃い、この身に負の想いを抱き。条件の揃った今ならば。

一歩足を踏み入れる。
恐怖はない。一人ではない事を知っている。
だから大丈夫。

口元に笑みを浮かべ、目を閉じて。


ただ、沈んでいく。




20240724 『花咲いて』

7/23/2024, 10:21:30 PM