初心者太郎

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—空に放つ声—

登山ガイドを務めて三十年。
珍しいことに今回のクライアントは若い女性一人だ。しかも登山経験はないのに、難易度の高いコースを選択している。

「もうすぐ頂上に到達しますよ」
「はい」

最初は心配だったが、無事に頂上までたどりつくことができそうだ。女性は華奢な身体だが、登山の疲れを全く見せなかった。
ゴツゴツした山道を、一歩一歩踏み締めて歩く。

山頂への到達、これが登山の醍醐味だと私は思う。彼女は初めての経験で、どんな反応をするだろうか。

標高が書かれた看板を通過した。ようやく山頂に到達だ。

「お疲れ様でした。山頂に到着です。どうでしたか、初めての登山は」
「思っていたよりも楽しかったです。良い気分転換になりました」

彼女はそう言ったが、表情に変化はなかった。無表情で、どこか暗い表情だった。

「ちょっと叫んできていいですか?」彼女は表情を変えず聞いた。
「もちろんです」

山頂の一角に立って、スゥっと息を吸い込んだ。

そして「マサキ死ねぇー!」と大きな声で叫んだ。

周りの登山客の視線が一斉に彼女に集まる。私も思わず目を見開いた。
清々しい顔で戻ってきた彼女に、私は尋ねた。

「あのう、マサキって……」
「私の元彼です。あー、叫んだらスッキリしました」

彼女の固い表情は崩れて、柔らかくなっていた。良い顔をしているな、と思った。

「本当に今日は来てよかった。また山を登りに来ますね」彼女は笑みを浮かべて言った。
「是非、また来てください」

自然と胸が温かくなった。

お題:心の深呼吸

11/28/2025, 5:33:59 AM