KAORU

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「え? 今なんて、新田さん……」
 俺は狼狽した。一緒に帰っていた新田さんが、生真面目な顔で言った。
「うちに寄っていきませんか。今、ちょうど母親も仕事で居なくて」
「え、どうして」
 ちょうどって。母親も居ないって、え?え? 胸の動悸が激しくなる。
 無意識に左胸を手で押さえた俺に向かって、
「間宮くんの手袋編みたいの。だからゲージ、測らせてほしくて」
と言った。おねがい、と顔の前で手を合わせる。
 ゲージ……、手袋。ああ……。
「編み物ね、ナルホド」
 あーびっくりした。ゲージなるものが何かわからなかったけど、サイズを測るんだってことは何となく理解できた。
「学校じゃダメなの?」
「うん。みんなの前だと、ちょっと」
 口ごもる。俺はそんな新田さんを見て、俺とうわさになるの、やなのかなと胸にぴりっと痛みが走った。
 それをはぐらかすため、いいよ、と言ってしまった。それまでもうちの前まで送っていたけど、中に招かれたのは初めてだった。
「どうぞ」
 新田さんは玄関のドアのかぎを開け、俺を中に通した。俺はおじゃましますと言って中に入る。
「今、毛糸と編針持ってくるから、ちょっとリビングで待っててくれる? あ、スリッパ、これ。お茶、何がいい? 甘いのと、
甘くないの」
 ぱたぱたしている。きっと男友達を招いたのなんて初めてなんだろう。ひょっとしたら、女友だちも今までなかったかもしれない。
 高校の委員長は、なんていうか、孤高のひとだ。勉強もできるし、美人で有名。教師からの信望も厚い。でもその分、他の人を寄せ付けないところがある。
「……」
 シューズを脱いで出されたスリッパに足を通そうとした俺は、動きを止めた。三和土に立ったまま、あのさ、と切り出す。
「え?」
「やっぱ今日はやめる。ごめん、ゲージとかよくわかんないけど、日を改めていい? お母さんがいないときとか、よくないよ。うん」
 新田さんの顔が曇った。俺はなぜか罪悪感に駆られる。
「でも」
「なんで、ちょうど? なんで親がいない時だといいの。俺と二人きりになって心配じゃない? 俺、密室で新田さんと一緒だと何するかわかんないよ」
 言ったら傷つけるかもしれない。そう分かってて俺は口にした。
 だって、手を出して傷つけたくないから。ーーいや、それを拒まれて、傷つきたくないのは俺の方だ。
 俺はずるい。でも……
 新田さんを直視できずにいると、彼女が俺に歩み寄るのがわかった。ソックス履きのつま先が俺に向いた。
「わかんなくて、いいよ……。間宮くんなら、いいって思ったから、私」
 だから、今日呼んだの。と消え入るような声でそう言う。
 俺は顔を上げた。ばちっと新田さんと目が合う。至近距離で。
 ーーやべえ。
 瞬きを、目が忘れる。こんなきれいな目をしている女の子がいるなんて、俺、知らなかった。
 心臓の鼓動が胸からせり上がってきて、喉を口を通り越して脳に到達する。バックバクと、耳の後ろがうるさいほどだ。
 俺たちは玄関で向き合ったまま、ただ見つめ合う。手を伸ばせば、触れられる距離で。

#距離
「セーター4」

12/1/2024, 11:02:47 AM