→『彼らの時間』10 ~時津風~
11月、晴天の空は高く澄んでいる。少し冷たい風がもうじき来る冬を予感させる。
「私の乗る飛行機、あれかなぁ?」
空港の展望デッキから飛行場を覗いている杏奈は、目の前の飛行機を指さした。
「まだ出発まで2時間以上あるし違うんじゃない?」と横に並ぶコウセイの冷静な回答。
「そろそろセキュリティチェック行こうかなぁ。落ち着かんよぉ」
杏奈にしては珍しい弱音。そうだよな、これから新しい世界に向けて出発だもんな。その緊張感、よくわかる。俺も、実は今日これからの予定で緊張してる。上着のポケットに重力無視した重み。
展望デッキを後に、杏奈を挟んで3人で並んで歩く間も雑談は止まらない。
「そー言えば、ウェブマガジン読んだよー。昴晴くんのインタビュー、めっちゃ読みがいがあったー。起業って大変だけど、やりがいリターン大きいんだねぇ」
「そう思ってもらえると嬉しいな。実際、いいことばっかりじゃなし、もうダメだって挫けることも多いけどね。でも、人の支えが力になるって、だから頑張れるって、強く思うようになったんだ」
背の低い杏奈を通り越して、コウセイの視線が俺に向けられた。真っ直ぐで穏やかな瞳。それに応えるように小さく頷くと嬉しそうに彼は目を細めた。
「……――そんでさぁ、トモダチにも読めって勧めたら、昴晴くんが格好いいってそればっかり! あの雑誌自体、面白いのになぁ。えーっと何て名前だっけ?」
「『トキツカゼ。』ワカモノ向けのプレ・ビジネス雑誌ってカテゴリーみたいだよ」
「そうそう、トキツカゼ。! きれいな言葉だったから思わず意味を調べちゃったよー。Wikipediaさん曰く『良いタイミングで吹く追い風』だってね」
セキュリティチェックに並んだ杏奈は通り抜ける前に振り返り、俺たちに大きく手を振った。
「私たち皆に時津風が吹きますように! 頑張って来るねー」
「頑張れ、杏奈!」
「楽しんでね! 杏奈ちゃん!」
杏奈ちゃんを空港に見送った後、ヒロトくんに引っ張られるように海辺の公園に連れてこられた。
「こんなところあったんだ! きれいな景色だね」
ガーデニングが施された庭は、色とりどりの花を咲かせている。まるで花畑だ。
「なぁ、コウセイ? 俺たちが始めて話した時のことって覚えてる?」
「それって、国語の時間のこと?」
ヒロトくんはバラで作られたアーチの前で立ち止まり、僕と向かい合った。
「時が告げられるって言葉のことだよね? あの後、すぐにチャイムが鳴ったっけ」
忘れるわけないよね、僕の初恋の思い出だもん。でも、ヒロトくんが覚えてるとは思わなかった。嬉しいなぁ。
「そうそう。あれさ、本当はどんな話でも良かったんだ。とにかくコウセイと話したくてさ」
彼の向こうに尖塔が見える。結婚式場のチャペル。ヒロトくんは真面目な顔で僕の前に片膝を突いて、ポケットから小さな箱を取り出した。
「あの日にタジマヒロトはワタヌキコウセイに一目ぼれしました。これからもずっと俺と一緒にいてください」
箱の中に指輪。
「ヒロトくん、これって……」
「プロポーズ」
ヒロトくんは真摯な瞳が僕を見つめ、返事を待っている。
少し前までの僕なら、きっと断っただろう。彼が好きだと言いながら、歩み寄るのを恐れて、無理に「終わり」を作ろうとしていた僕。
でも、もう僕は恐れない。僕は人を、……僕の最愛の人タジマヒロトを信じる。
僕はヒロトくんに抱きついた。
「僕も、あの日からずっとヒロトくんが好きだよ!」
―カーン、カーン、カーン……
教会の鐘が鳴った。その素晴らしいタイミングに僕たちは顔を見合せて笑った。
「祝福の時、告げられたね」
爽やかな風が公園を吹き渡り、僕らを未来へと後押ししてくれているように感じた。
―……十年前。
小学校で、授業終了のチャイムが鳴った。自由時間だ。授業から解き放たれた子どもたちの笑い声が校舎中に響き渡る。
3年生の教室で、「時、告げられたね」と但馬尋斗ははにかんだ。
少しモジモジしていた綿貫昴晴は、勇気を振り絞って誘いかけた。
「僕らの時間の始まりだよ。一緒に遊ぼう」
そうして二人の少年は校庭へと駈け出していった。
これは、彼らが覚えていない一番初めのデートの話。
『彼らの時間』fin
テーマ; 花畑
9/18/2024, 7:08:46 AM