夕方の駅前でビジネスバッグの中をゴソゴソと漁りまくっている若いビジネスマンがいた。
空からはしとしとと弱い雨が降り続いている。
ビジネスマンが私のよく知っている幼馴染とわかって、私は離れた所から観察する。
探してる、探してる。
一度開けて確認して閉めたファスナーを全部また開けたりして。
それだけ探してないのにまだ諦めないんだ。
私なら、駅のコンビニでビニール傘を買っちゃうけどね。
…自宅の玄関に私が買った3本はあるビニール傘を思い出して、だからやたら物が多いんだ、と今更ながら気づいた。
さて。
目の前で困っている幼馴染を放っておけるほど、私はろくでなしでもないしね。
「お兄さん、私の傘に入りませんか?」
背後から声をかけたら、ビクッと体をびくつかせて顔を強張らせて私を見る。
おいおい、子供の頃も、中学校と高校も同じ仲良しグループだったのに、私の声を忘れちゃったのぉ?
「…ビックリした」
「傘、入る?」
「入る」
傘を忘れた幼馴染に私の傘を持たせる。
彼氏にプレゼントされた今日のような小雨に似合う、ウォーターグリーンの24本骨の長傘。日傘にもなる超軽量の優れ物。
「晴雨兼用なら、傘をまた買わなくても良いしな」
って、雑貨屋デートで買ってくれた。
私のことをよく知ってくれているみたいで嬉しかった。
それなのに。
職場で、私以外の傘に入って帰って行った彼氏を思い出す。
ワインレッドで1つ大きな薔薇の刺繍が目を引く大人っぽい傘と、長く緩やかな茶色のカール。
彼氏が時々言ってた人だ。
あの受付の人、すごい綺麗。高嶺の花だなって。
私にヤキモチ妬かせて楽しんでいるって信じたかったけど、やっぱりあの女性の方が良かったんだ---
「どうした?溜息なんか吐いて。溜息吐くと幸せが逃げるんだって昔誰かさんに言われたなぁ」
「…私だよ、それ」
中学生の時。皆んなで遊びに行ったあの雨の日に、幼馴染は傘を電車で無くした。
深い紺色でダークブラウンの竹製の持ち手が特徴の、和傘風の素敵な傘だった。
電車を降りて改札を出た後で電車の中に忘れたって涙ぐむ。大好きなおじいちゃんの肩身だったのにって。
傘の持ち手におじいちゃんのイニシャルが小さく刻まれていたからすぐに見つかり、終点の駅で預かってくれることになって。
結局その日の予定を変更して、行ったことのない街へ皆んなで繰り出した。
電車の窓をしとしとと弱い雨が濡らす中、片道1時間の行きの車内の皆んなの口数は少なかった。
けれど帰りの1時間は皆んな笑顔だった。幼馴染が傘をずっとギュッと握っていたから。
行きと帰りは同じ行程なのに、帰り道は片道1時間の電車旅のよう。
あの帰り道はとても楽しくて、今でも仲間が集まれば思い出話に花が咲く。
「この傘さ、彼氏がプレゼントしてくれたんだよね。晴雨兼用、これをいつも持っていればビニール傘を買わなくて良いからって」
「…うん」
ぽつりと呟いた私に思うところがあったのか、幼馴染は言葉少なに頷いた。
「今日、一緒に帰ろうと思ったのに、受付の綺麗な女性と帰っちゃった」
「え、」
幼馴染の声が固くなった。
気遣うように私に視線を下ろしているのを感じる。
私は前を向いたまま、さっきまでと同じようにぽつりと呟いた。
「私たちの交際、まだ社内で内緒にしてたの」
「……どうして?」
「どうしてだろう。彼の元カノも同じ職場だからかなと思ってたんだけど、理由は聞いてないの」
何となく聞けなかった。
幸せが逃げていく気がして。
無言になった私に、幼馴染は何も言わなかった。
ただ、私の腕には幼馴染の温もりがある。
「…今度、遊びに行こうか」
「えっ、」
「寂しそうだから」
足を止めて隣を仰ぎ見る。
幼馴染も私を見下ろしていて目があった。
この雨のような、深く静かな黒目がちの瞳。
「2人で。彼氏に内緒で」
ドクンドクンと強く鼓動が打つ。
不自然にならないようにそっと視線を下ろすと、幼馴染の肩がしっとりと濡れていた。
私は濡れていない。ずっと傾けてくれて……
「考えてみて。俺は遊びに行けたら良いなと思うけど」
彼は私に傘を持たせて、傘を飛び出して家に向かって走り出した。
徒歩5分の距離。走ったらどのくらいなのだろう。
あんなに折りたたみ傘を探していたのに、今も小雨は降り止まないのに。
パシャパシャとアスファルトの雨水を跳ね返させながら走る後ろ姿を傘の中から見送る。
街灯や車のライトが暗いアスファルトにキラキラ反射して綺麗だった。
傘の中で、幼馴染の低く優しい声を思い出す。
私と幼馴染の秘密の---
傘の中の秘密
6/2/2025, 3:00:38 PM