逆井朔

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お題:失恋
 愛しさというものは際限なく心の裡から湧き上がり、枯れぬ泉のように絶えず続くものなのだと一途に信じていた。
 愚かだった。
「沙紀(さき)」
 彼に名を呼ばれると、いつだって途方もなく嬉しかった。他の誰に呼ばれても特に何も感じなかったのに、その唇に紡がれるとこの上なく美しく響いたし、嬉しく感じられた。元より、私は彼の声を迦陵頻伽に感じていたのだ。ずっと私の名だけを呼んでいてほしかった。だからこそ、かつての私は人生で初めて勇気を出して告白し、彼女というポジションを得たのだ。
 でも決して慢心していた訳ではない。自分を磨くことを常に怠らず、彼の隣に相応しい存在であろうと心がけていた。
 なのに。
 呆気ない幕切れだった。
 いや、正確に言うなら、まだ終わってはいない。でも私は既に知っている。彼は私の幼馴染の由佳(ゆか)とも深く通じていたのだ。
 彼が具合が悪くて保健室で休んでいると友人に聞いて、保健室を訪れた時に、聞こえてしまった。カーテンの向こう側、由佳と彼が熱っぽく囁きあい、何度も口づけをかわす音。
 二人は私が扉を開けたことにも気づかないくらい、互いに夢中になっていたのだろう。
 なぜか私の方が気を遣って、口元を抑えて静かに退室していた。
 どちらが先に粉をかけたのかは知らない。しかしいずれにしても、私を馬鹿にしていることには代わりないだろう。
 一番近しい幼馴染に手を出せば私に悟られるのは時間の問題なのは分かるはずだし、その逆もまた然りだ。
 或いは、そんなことすら分からないほど、二人が愚かだったということなのかもしれない。
 フランスの作家で詩人のポール・ヴァレリーという人の有名な言葉があるのだ。
 「恋愛とは二人で愚かになることだ」と。
 私だって恋をしていた。でも、必死に自分を律していた。これまで自分が見てきた中でも、恥も外聞も捨てて相手に耽溺するような恋は、傍らで見ていて痛々しいものだと感じていたからだ。
 ……でも、もしかしたら私がしていたのは、本当の恋愛ではなかったのかもしれない。彼氏彼女という関係にあっても、私がしていたのはあくまで恋に過ぎなかったのかもしれない。愚かにならないよう自制して、ただ相手を愛しいと思うばかりだった。二人で愚かになることはできなかったのだ。
 そもそも果たして彼は私をどのくらい愛してくれていたのだろう。大切にされているとは感じていた。でも、それは愛からくるものだったのだろうか。彼らの仲を知ってしまった今になって、急によく分からなくなってきた。
 ただ一つだけ、はっきりと分かるのは、私は間もなく幼馴染も彼氏も同時に失うのだということだ。

6/3/2024, 2:15:05 PM