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「幸せに……」
そこまで言って僕は言葉を止めた。桜舞い散る丘の向こう。ぽつりと立つ木が1つ。
この木の下で出会って、同じ時を過ごして、そしてそれからぱたりと姿を消してしまった君。メッセージアプリも、SNSも全て繋がらなくなってしまった。

握りしめた手紙は、君が好きだったシーリングスタンプで留められている。
淡いピンクの桜を象った、それ。桜がすきなんだと、この木の下で花が咲くかのように笑ってみせた君。
手紙の中身はまだ見ていない。見てしまえばこの関係の行方が決まってしまうから。
もしかしたら、と思わなくはないけれど、それなら君はこんな回りくどいやり方なんてしない。
だから、もうすでに決まってしまったのだろうけど、僕はまだ夢を見ていたかった。
「ねぇ、幸せに……」
そこでまた、はたと言葉が止まった。
その先の言葉が出てこない。僕は君に何を願っているのだろうか。
なってね? なりたい? それとも『ならないで』?
僕は深呼吸をして下唇を噛む。
君の隣にいるのは僕がよかった。僕だけを見ていてほしかった。
「僕じゃない人と、幸せにならないでよ。戻ってきてよ、ねぇ」
急に吹いた風が花びらとともに僕の手の中の手紙も攫っていく。僕は追いかけなかった。
桜は今年も、綺麗だった。

4/1/2024, 8:59:59 AM