『君と歩いた道』
「は!?」
久しぶりに家を訪ねてきた友人が、部屋に上がるなり眉をひそめた。
「ヨシト、お前まだそいつ処分してなかったのか」
ボロアパートの隅でうなだれたようにして丸まっているあいつを、シオンがあごで指す。
「あ、あぁ。まぁ……な」
色あせた表面の塗装は、ところどころ剥がれている。メーカーの修理対応がとっくに終了してしまったこの型は、もうずっと動かないままだ。
——NEW HORIZON(ニューホライズン)
世界中のほとんどの家庭が一家に1台以上のヒューマノイドロボット(人型ロボット)を所持しているこの時代、アメリカのAZ社が開発したNEW HORIZONは、世界生産の半数を超える圧倒的なシェアを誇っている。
そして、ここでうなだれているヒューマノイドこそ、その最も初期の型である〝NEW HORIZON Ⅰ(ワン)〟なのだ。
「いい加減どうにかしろよな。もう3年だろ? 動かなくなって。時代はもうHORIZON Ⅴ(ファイブ)だってのに」
確かにシオンの言う通りだった。修理もできず、この狭い部屋で場所ばかりとっている故障したヒューマノイドなんか、本当ならさっさと手放せばいいだけだ。
「ちなみに、俺はファイブ予約済みだから」
「お前……さては稼いでるな」
鋭くにらみつけた視線を交わしながら、シオンはむかつく笑みを浮かべた。
「まあな。少なくとも、院に進んだお前よりは金持ちだ」
「だとしたら、手土産を持ってくるくらいの気は利かせてくれ」
「すまんな。あいにく、新型ヒューマノイドのせいで金欠なんだ」
食費を削るほど金がないやつが目の前にいることに、多分こいつは気づいていない。大学を卒業して大手企業に就職したシオンは、今や立派な社会人だ。院に進んで、研究ばかりしている万年金欠の俺とは大違いだった。
「あ、そうだ。今使ってるHORIZON Ⅳ(フォー)、あれ下取りに出そうと思っていたが、手土産の詫びにお前に譲ってもいいぞ。もちろんタダではないが、格安でいい」
視界の端にいるあいつは、あの日止まってから今日まで、一度も動いていない。何をどう頑張っても、うんともすんとも言わない。普通に考えれば、この申し出はありがたく受けるべきだ。でも——
「タダでも、もらってやるかよ」
2人から目を背けるように、俺は窓の外の曇天を眺めた。
アメリカ発のヒューマノイドに、俺は〝ジェイムズ〟と名付けた。これはあとから知ったことだが、ジェイムズは日本の工場で作られた正真正銘の日本生まれだ。
ジェイムズが初めてうちに来た日、俺は呆気にとられた。
ちょうどNEW HORIZON Ⅲ(スリー)が発売された年、当時大学2年生だった俺はネットで格安の中古HORIZONを見つけ、購入した。
俺はその時、最新型であるNEW HORIZON Ⅲの中古を買ったつもりだった。だが、届いたのは初期型HORIZONの中古、ジェイムズだった。何事も安いものには理由がある。
ジェイムズははっきり言ってぽんこつだ。中古だからか、そもそも型が古いからか分からないが、会話は時々噛み合わなくなるし、できることも最新型に比べたら天と地ほどの差がある。見た目も年季が入っていて、お世辞にも連れ歩きたいほどきれいとは言えなかった。
最新型ヒューマノイドがいれば生活の質が圧倒的に変わると聞いて期待していたが、その期待も実現するどころか、こっちがジェイムズの面倒をみることになった。とんだ誤算だ。
思い返せば一度だけ、一緒に外に出かけたことがある。まだあいつがうちに来たばかりで、元気だった頃の話だ。
「ここはどこですか」
「それは俺がお前に聞きたいんだぞ、ジェイムズ」
「そうでしたか、すみません」
車を持たない貧乏学生の生活の足である全自動スクーターが故障し、それを引き取りに行く途中だった。
「まったく。どうしても着いてくるって言うから連れてきたのに、全然役に立たないじゃないか」
ジェイムズのインターネット接続が上手くいかず、頼りのナビ機能が使えなくて俺たちは完全に道に迷っていた。
「すみません。お役に立てるように頑張ります」
そう意気込んだ直後、ジェイムズの体内から電子音が聞こえた。
「あと5分でバッテリーが切れます」
「は!? ちゃんと朝まで充電してただろ!?」
「はい。ですが、あと5分で完全停止します」
「完全……停止……」
さっきから全く車の通らない道。あたりに民家など見当たらない。現在地も分からない。連絡手段もジェイムズしかない。こんなところでこいつが停止したら——終わった。
途方に暮れてトボトボ歩く俺と、体をきしませながらも能天気に歩くヒューマノイド。初夏の日差しが頭に照りつける。もうそろそろ、こいつはここで体育座りのような停止体勢になり、そのまま動かなくなるだろう。
安さに目がくらんで、よく確認もせずにヒューマノイドなんか買うんじゃなかった。予定通りこれがHORIZON Ⅲだったなら、こんなことにはならなかっただろう。
「はぁ……」
深いため息をこぼすと、先を歩いていたジェイムズが振り返った。
「ヨシトさん、どうしましたか? 疲れましたか? 助けが必要なら言ってください。緊急時機能〝大声で叫ぶ〟を使うことができます」
真顔でそう言うジェイムズに、慌てて首を振る。
「いやいや、やめてくれ。第一、その機能を使ったところで、誰も聞いてなきゃ意味ないだろ」
人の存在を確認するように、ジェイムズが辺りを見回す。
「そのよう……ですね」
「せめて、ここがどこか分かればな……」
俺は天を仰いだ。それと同時に、ジェイムズがとうとう停止直前の最終アラームを鳴らし始めた。
「ヨシトさん」
「いいから喋るな。もうバッテリーが切れるぞ」
「はい」
絶え間なくアラーム音が鳴り続ける。
「ヨシトさん」
「だからお前喋るなって——」
「現在地が分かりました」
「えっ……」
「現在地が分かりました。目的地までの案内を記憶してください」
「あっ、ちょっと待って」
ジェイムズが早口で言う道順を、俺は必死に覚えた。目的地まで、そう遠くなさそうだった。
「で、最後に右だな? よし。ん、ジェイムズ……」
隣を見ると視線が合うことはなく、ただ足元には力尽きたジェイムズが膝を抱えていた。
道は覚えた。問題は、この動かない金属の塊をどうするか。
結局俺は、修理工場までジェイムズを引っ張って行き、帰りはスクーターにジェイムズを乗せ、それを押して帰ることになった。
そんなジェイムズがある日突然動かなくなってから、早いものでもう3年が経った。
あんなにぽんこつで役になんかちっとも立たないのに……いや、ぽんこつだからこそなのか。俺はどうしてもジェイムズの代わりを見つけようとは思えなかった。
「なぁ、ジェイムズ。もうちょっとだけ、待っててくれ」
シオンが帰った家。返事をする声はない。
「俺、お前を直すために今頑張ってんだからな。お前のために機械工学の研究課程に進んだんだ。感謝しろよな」
メーカーに頼れないなら、ジェイムズの修理は俺がやるしかない。どうせならバッテリーの持ちも、電波の受信具合も良くして、前より頼れるヒューマノイドにしよう。
そしたらまた、こいつと一緒にどこかに出かけよう。
あの日一緒に歩いた道。相変わらず人通りはなく、遮るもののない太陽光がアスファルトに反射する。
「今どの辺?」
「目的地まで、およそ27分の地点です」
「バッテリーは問題ないか?」
「はい。バッテリー残量79%、問題ありません」
「もうぽんこつじゃないな——ジェイムズ」
「はい。わたしはもう、ぽんこつではありません」
自慢気な顔のジェイムズ。生まれ変わったジェイムズに関心したのも束の間、なぜかまたアラーム音が鳴り始めた。
「おいジェイムズ、今度は何なんだ」
「太陽光により体内温度が上昇。5分後には危険値を超える予定です」
「……超えたらどうなる」
「完全停止です」
6/9/2025, 9:54:11 AM