sairo

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彼の左腕は動かない。
肩から先。自分の意思では動かす事は出来ず、触れる感覚さえないのだと言う。

「小さい頃に、事故にあったみたいでさ」

彼曰く、記憶にはないが雪崩に巻き込まれたらしい。
七つに満たない、幼い頃の出来事。覚えてないのも仕方がないのだろう。

「助からないだろう、って思われてたみたいだぜ。それが腕以外は問題ないってんだから、不思議だよな」

左腕に触れながら、彼はけらけら笑う。
触れている感覚はあるのに、触れられている感覚がない事が楽しいようだ。

「壊死とかじゃないんだってさ。ちゃんと血は巡ってるって。それでも動かないのは、医者でも原因不明」
「それは。まあ、そうだろうね」
「ん?何、原因でも見えた?」

ずい、と彼の顔が近づいて、思わず後退る。
不用意な事を言ってしまったと後悔するも、一度溢した言葉は取り消せない。
きらきらした目をして、それでそれでと答えを急かす彼を、取りあえず宥めて。
言葉を探すように視線を彷徨わせながら、伝えられる一つを口にした。

「手を、繋がれているから」
「手?」

きょとん、と目を瞬かせ、左腕に視線を向ける。
右手で左手を持ち上げ、何か見えはしないかと様々な角度に動かし。指を絡めて軽く揺すり。
だが結局は何も分からなかったのだろう。
手を離して、不満げにこちらを見つめ、ぼやきだした。

「何にも見えないし、感じないんだけどさ。一体誰と手を繋いでんの?」
「誰かの手に、繋がれてるよ」
「だから誰の手?」

誰、と言われても、誰か、としか答えられない。
何せ、手しか見えないのだから。

「もしかして、その手が俺を守ってくれたとか?守護霊とかってやつ?」
「守護霊ではないかな」
「それじゃあ誰の手?知らない奴が俺の事守ってくれてんの?」

どこか納得いかない顔をしながらも、彼はそれ以上は何も言わず。
席に座って、動く事のない左手をしばらく見ていた。





制服の裾を引かれる感覚に、視線を向けて顔を顰める。
左側。小さな手が引き止めるように制服を握り締めていた。
立ち止まる。それに気づいて一度離れた手は左手に移動して、するり、と指を絡め出した。

「やだな。もう」

溜息を一つ吐いて、手を引き剥がす。床に投げ捨て、そのまま踏み潰した。
彼と長く話していたせいで、どうやら着いてきてしまったようだ。
手。動かない、と笑って話していた彼の左腕に絡みついていたもののひとつ。
彼はきっと、左手と指を絡めて繋がれた手ひとつを想像しただろう。けれど現実は非情である。

左肩から先。無数の手が彼の腕を引いていた。
手首から先は見えなかった。断面が認識出来なかった事から、切り離された手が絡んでいるのではなく、どこか別の場所から彼の腕を引いているのだろう。

これからどうするか、と少し悩む。
急な席替えで、後ろの席になってしまった彼。今まで関わりがほとんどなかったが、話す機会が増えた事で面倒事に巻き込まれる予感しかしない。

「やだな」

一度話しただけで着いてきてしまった手を思い出し、気が重くなる。教室に戻るのが酷く億劫だった。

「あれ?こんなとこで何してんの?」

不意に聞こえた声に、僅かに肩が跳ねる。
げ、という言葉を呑み込んで、嫌々ながらも振り返った。

「大丈夫か?体調が悪いなら、保健室着いていこうか?」

心配そうな彼に、大丈夫だと首を振る。
相変わらず無数の手に絡まれている彼の左腕に先ほど踏み潰したはずの手を認め、さらに気分が降下した。

「顔色悪いぜ。無理すんなよ」
「少し考え事してただけだから。大丈夫」

無理矢理笑顔を貼り付けて、教室に戻るため歩き出す。
隣を歩く彼の左腕を見ないように、さりげなく視線を逸らし、早足で。

「そろそろ授業始まっちゃうから、急がないと」
「まだ大丈夫だと思うけど。まあ、いいか」

ふ、と笑う声。ひとつ遅れて、左手を引かれる感覚。

「え?は?」

突然の事に立ち止まり、手を見る。

彼の右手に、繋がれていた。


「俺の左手が、誰かの手と繋いでるって言ってたから。何かいいなって」
「意味が、分からない」
「おれが手を繋ぎたくなった。それだけ」

振り解こうにも、強い力で繋がれた手は解ける事はなく。
恐る恐る見上げた彼は、獣の眼で上機嫌に笑っていた。

「ずっと気になってたんだ。正しく見えるやつって、今じゃ貴重だから」
「見えてない。正しくは見えてないから。だからっ」
「見えてるだろ?折角仲良くなろうと手を繋いだのに、それを踏み潰そうなんて酷いよな」

口の端が引き攣っていく。
思っていた以上の面倒事に、目眩がしそうだ。
彼に繋がれた左手に、重なるようにしてひとつふたつと手が増えて行く。左手を辿って腕に絡みついた手が楽しげに揺れる。
またひとつ、手が増えて。

耐えきれずに彼の手を振り解き、距離を取った。

「キモい!」

絡みついた手を投げ捨てる。

「そんな酷い事言うなよ。加護はあるぜ?俺を今まで守って来たお墨付きってやつだ」
「こんなキモい加護なんかあるか!視界的によろしくないのは、加護じゃなくて最早呪いだろうが!」

思いの丈を叫ぶ。最後に残った手を彼の顔面めがけて投げつけた。
それを簡単に受け止め、彼は不本意だと言いたげに手を見て首を傾げた。

「おれの眷属の手だぞ。可愛くないか?」
「お前の眷属なんぞ知らん!」

知るわけがない。知ろうとも思わない。
彼の、正確には彼の左腕に絡んだ手の大本が一体何であるのか。面倒事の匂いしかしないそれに、関わるつもりは全くなかった。

「つれないな。末永く俺と仲良くしてもらいたいんだが」
「断る!」
「即答するなよ。俺が悲しむぞ。雪に埋まった時からずっと一人きりだったからな…友達が欲しいって望みに、これでようやく応えられると思ったんだが」

目を伏せる彼に、何も言えなくなる。
それは卑怯だ。騙されるわけにはいかないと思いながらも、否定する気持ちが凪いでいく。
酷いのはどちらだ、と口には出さずに悪態を吐いて。
彼を、見た。

「これ以上変なものを押しつけるようであれば、怒るぞ。あと、軽率に空間を歪めるな。さっさと元に戻せ」
「素直じゃないな。まあ、これから仲良くしてやってくれ」

けたけた笑い、いつの間にか閉じられてしまった空間を戻す彼に、小さく舌打ちして。

「どうした?やっぱり保健室行こうか?」

目を瞬かせ心配そうにこちらに寄る、元に戻った彼を作り笑いで誤魔化す。

「次の授業、面倒だなって」
「そう?俺は結構好きだけどな、科学」

他愛のない話をしながら、教室まで一緒に歩いていく。
彼の左手を繋いでいる手が機嫌良く揺れているのが、ちらりと見えて。
彼に気づかれないように、声には出さず悪態を吐いた。



20241210 『手を繋いで』

12/10/2024, 11:38:10 PM