5月の早朝。委員会の当番のためにいつもより早く家を出た私は、学校の最寄り駅の改札を出て、道を急いでいた。背負ったリュックのポケットからスマホを取り出して、時刻を確認する。当番の時間まで残り15分。駅から学校までもだいたい15分。要するにギリギリである。もう一本早い電車に乗ればよかったと後悔して、私はスマホをしまいながら、足を速めようとした。その時――
「あの!ハンカチ落としましたよ!」
後ろから声をかけられた。男の人の声だった。
私は立ち止まって振り返った。目に飛び込んできたのは、リボンを着けた白い猫のキャラクターがプリントされたハンカチと、目の覚めるような美男子の顔だった。目鼻立ちがはっきりとしていて、どのパーツも整っている。“イケメン”より“美男子”って呼び方が似合う感じだ。こんな素敵な男の人、初めて見た。
「あれ、あなたのハンカチで合ってますよね?」
美男子さん(仮称)が不安気に首をかしげる。
「あっ、そ、そうで、す。ど、ども」
元々男性慣れしていないのに加えて、絶世の美男子が相手だ。どうにも上手く言葉が出ず、ろくにお礼も言えない。
美男子さんは「それならよかった。はい」と私にハンカチを手渡すと、身を翻して、道の向こう側を歩いている男子高校生の一団へ戻っていった。離れてからよく見れば、彼は私と同じ学校の制服を着ていた。
私はしばらく歩いていく彼の背中をボーっと見つめていたが、時間がないことを思い出して、慌てて走り出した。
そんなことがあったのが、1ヶ月前。あれからずっとあの美男子さんにちゃんとお礼が言えていないことが引っかかっていた。あの日彼が拾ってくれたハンカチは、妹が小学校の宿泊学習のお土産にくれたもので、大切なものだったのだ。あの日、出掛けにハンカチを忘れそうになって慌ててリュックのポケットに入れたから、スマホを取り出す時に落ちてしまったのだろう。あのままなくしていたら、妹にも悪いし、私も酷く落ち込んだだろう。それを思うと、あの美男子さんにはもっとしっかりお礼がしたかった。
私は今日、あの日と同じ当番で、あの日と同じ時間に同じ道を歩いている。時間はギリギリになってしまうけど、もしかしたらこの時間この場所なら、彼にまた会えるかもしれない。彼の姿を頭の中で思い出しながら、周りを見回しつつ歩いた。
すると、道の向こう側に、5、6人の男子高校生が連れ立ってやってきた。その中に、彼の姿がある。
私は思わず立ち止まる。彼にお礼を言いたい。でも、もう一ヶ月も前のことだし、忘れられているかもしれない。そしたら、迷惑かもしれない。お礼を言って変な顔されたらと思うとこわい。頭の中に急にぐるぐるとネガティブが渦巻き始めて、彼へ向かう一歩を鈍らせる。
その時、私の背中側から、強い風が吹いた。
そしたら、風の吹いてきた方を見ようとしたのか、友人と話していた彼が不意にこちらを見た。彼は自分を見ている私を見て、目を見開く。そして、何かに気づいたような顔をしたかと思うと、ニコリと笑って、小さく会釈をしてくれた。私があの時ハンカチを拾った相手だって、わかってるみたい。
風がまた強く吹く。私はその追い風に背中を押されるように、彼の方へと駆け出していた。
1/8/2025, 9:05:16 AM