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「岐路」

俺は耳を疑った。テレビに映るあの子は今も凛とした佇まいで、まっすぐに前を向いている。あの子が語っているのは俺のことじゃないか。

あの子とは中学で知り合って高校まで同じ時間を過ごした。中学ではいつも学年1位の座を争っていたが、俺が1位になれたのはたった一度だけ。同じクラスになったことはなく、挨拶くらいはしたが、ろくに話したこともない。

同じ高校に進み、そこでも接点はなかった。部活もクラスも重なることはなく、ただ通学の電車のなかで見かけるだけだ。あの子に負けたくなくて、勉強も部活も精一杯頑張った。

本当は友だちになりたかった。どんな本を読むの?好きな音楽は?いや、友だちじゃない、あの子の特別になりたかったんだ。

一度だけあの子と話した。高校の卒業式。あの子は東京の大学に行く。俺は地元の大学だ。もう会うこともない。あの子は制服の第2ボタンがほしいと言った。俺のボタンを?

「ありがとう。これで東京でも頑張れる」
ボタンを握りしめ、笑顔であの子は手を振った。それ以来。会っていない。

卒業して二十年あまり、時々思い出す。苦しいとき、あの子はどうする?と考える。あの子は全力で頑張るだろう。そう思うと力が湧いてきた。

「岐路に立った時、いつも思い浮かべるんです。彼ならどうするかなって。きっと彼は困難な方を選びます。そして努力を惜しまない。このボタンは高校の卒業式のときにもららいました。迷ったときはこれを握りしめます。初恋でした」

若き政治家として鮮烈にデビューしたあの子には、もう俺の手は届かない。その容姿から政治以外の興味本位の、これは失礼じゃないかという質問にも真面目に答える。何も変わっちゃいない。

教師になって母校に赴任した。あの日ボタンを渡した渡り廊下は今もそのままだ。俺だって同じだ。岐路に立ったとき浮かぶのは、あのときの君だ。

6/8/2024, 11:46:15 AM