【向かい合わせ】
路地裏の片隅の喫茶店の、一番奥のボックス席。窓の外の雨音を聴きながら手元の文庫本のページをめくっていれば、不意に正面に人の気配がした。
「久しぶり」
目線を上げることなく、声だけを向ける。と、くすりと控えめながらも楽しげな笑い声が僕の耳朶を打った。
「一週間しか経っていないよ」
会いたいわけでもない大学の同期とは毎日顔を合わせていることを思えば、本当に会いたい君と会えない一週間は久しぶりと称するに十分な期間だと思うけれど。
顔を見ることも許されない、声だけしか知らない友人。この喫茶店のこの席で、向かい合わせに座りポツポツと会話を交わすだけの相手。もっと君のことを知りたいとは思うけれど、これ以上踏み込んでしまえばきっと、君は僕の前から姿を消してしまう、そんな予感があった。
「君がおすすめしてくれた本、読んだよ」
本のページに目線を落としたまま、君と会話をできる喜びに逸る気持ちを抑えつけて、なるべく柔らかに口火を切る。窓の外からは相変わらず、しとしとと降り続く雨音が静謐に響いていた。
8/26/2023, 5:20:11 AM