『ひどいひと』
なにも知らないわたくしを、名も語らぬ旅人様は救ってくださいました。人の愛し方、花の名、四季を慈しむ心、字の読み書きまでもを教えてくださりました。
そうして旅人様に色々なことを教わり、四季を二度終え、…愛していたのです。貴方様が教えてくださった心で、貴方様のことを、どうしようもなく。
ですが、旅人様は、貴方様は、ころっと消えてしまいました。 なにも言わずともわかります。
ええ、きっと、また旅に出たのです。
貴方様は、そういうお方です。こんな貧相な村に留まっておらず、いろいろな、美しく眩しい外の世界を駆け回り きっとどこかで、また私のような生き物を救うのです。
ええ、ええ、旅人様には きっと…このような村は似合わない、わたくしのような 人間とも言えない醜い生物は釣り合わないと わかっていたのです。ええ、存じておりました。
わたくしは、ただただ貴方様の幸せを願い、四季を繰り返し生涯を終えようと思っておりました。
…ですが、どうしようもなく 願ってしまうのです。 貴方様に名を教わった花を見るたび、四季が巡るたび、人と接するたびに、貴方様の顔を、声を、思い浮かべてしまうのです。
そうして、願ってしまう。どうか戻ってきてはくれないか、また愛を教えてくれないかと。
結局のところ、わたくしはどうしようもなく貪欲で醜い生き物なのです。貴方様のような清らかで心洗われるお方に少し教えを乞うたくらいでは、生まれ変われなどしないのです。
あゝ なにを見ても、なにをしても、貴方様の笑顔が心を焼くのです。もう一度、救ってはくれないのですか。 桜が散るたび、夏が香るたび、木々が頬を染めるたび、人が恋しくなるたび、貴方様の救いから逃れられないことを思い知らされてしまいます。
...毎晩、夢に見るのです。旅人様が、心身ともに傷つき 暗く深い絶望の中で 最後にわたくしを求めてくださる夢を。...どうか、こんなわたくしめをもう一度救ってくださいませ。
ああ、こうして2度と訪れない救いに焦がれ 生涯を終えるとき、私は気づいたのです。あれは、救いなどではなく、呪いだったのです。
幸せを知らずに生涯を終えるよりも、一度 何事にも変えられない幸せを得てから、同じ暮らしに戻る方が、何倍も苦しいのです。
存じておられました?酷いおひと
5/23/2024, 11:35:01 AM