杢田雲

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大人になったら何になる?
いつからだろう、その問いを避けるようになったのは。

美由紀はぬるいコーヒーをすすった。
道路に面したカフェのカウンター席で、外を人が通るたびに反応してしまう。
待ち人現れず、である。
メッセージには既読がつくのに、返事も来ない。
もう行っちゃおうかな、と思っても性根が優柔不断で決断出来ず、惰性でまだ待っている。
「ごめん、遅れた!」
突然すぎる登場に驚いて水の入ったコップを揺らしてしまい、カウンターが少し濡れた。
息も絶え絶えである。
美由紀がコップを差し出すと、沙織はそれを受け取って三口で空にした。
「電車が遅れてた上に隣駅で降りちゃって、走ってきた」
隣駅までは確かに歩けない距離ではないが、ちょっとした運動にはなっただろう。
「一言返事くれたら良かったのに」
「パニクっちゃって……」
沙織は混乱しやすいタイプで、考えてみればいつもこうだ。
「まあ、いいよ。合流出来たんだし」
「ほんとごめん、ありがと」
沙織は水で濡れた口元を手の甲で拭った。
「時間まであと二十分あるし、もう少しここにいようか」
「そうだね。私もコーヒー頼んでくる」
沙織は中学時代からの友達だ。
あの頃から比べれば背も伸びたし、髪も伸びた。顔立ちも大人になったのに、本質は変わっていないように見える。
それとも美由紀が相手だからだろうか?現に店員さん相手の沙織はテキパキしている。

「お待たせ」
ものの数分で戻ってきた沙織は小さい鞄を膝に置いて隣に座った。
アイスコーヒーには氷が入っていない。沙織のいつも通りのオーダーだ。
「昔さぁ、よく話したよね。大人になったら何になる?って」
「そうだっけ?」
いきなり何?と言われるかと思ったのに。
予想外の反応に美由紀は会話が沙織のペースに巻き取られるのを感じた。
「昔って、どのくらい昔?」
「中学生の時」
「あー、覚えてない」
頷いたかと思うと首を振る。慌ただしい奴だ。
「沙織、聞くたびに違うこと言うから適当だなーと思ってたよ」
「だろうねぇ」
ストローから口を離した沙織は美由紀の方を見た。
「美由紀はずっとフルートやってたいって言ってたもんね」
「何で覚えてんの?」
「いつも同じこと言うから熱心だなーと思ってたんだよ」
沙織は美由紀がカウンターに置いているフルートのケースに目をやった。
「昔より今の方が考えてるかも、未来のこと」
「え、何それ。気になるんだけど」
沙織は身を乗り出す美由紀を受け流して時計を見た。
「映画終わったら話そ」
美由紀はアイスコーヒーを一気に吸い込む沙織に釣られてコーヒーを流し込んだ。
映画館まで走るのは、何だかやけに楽しかった。

6/17/2023, 3:56:42 PM