風に身をまかせ
いつもの朝の通勤路
駅からの道のり
ピークを過ぎてはいるもののそこそこ人通りは多い
大通りの長い信号待ちをやり過ごし、咲子は足早に雑多な商店街の中を進んでいく
春用に新調したシルバーメッシュのサンダルが思いの外心地よくて、いつもより足取りが軽かった
チェーン展開するコーヒー店、色とりどりの花を店先に並べはじめているフラワーショップ、今流行りのドーナツ店にはすでに長い行列が出来ていた
コンビニの前を通り越し、銀行、カレーショップを横目に、急な夏の気配を思わせる五月の日差しの中、咲子はどんどん歩みを進めていく
まだ朝の範疇だというのに、アスファルトの照り返しはすでに予想以上にきつい
咲子の白いプラウスの首元にはじわりと汗が滲んだ
勤務先は半年ほど前に建ったメディカルビルの三階に入っている歯科医院
そこが咲子の新しい仕事場だ
急に足元から吹き上げるいたずらな風に、刹那咲子の日傘が巻き上げられ、宙に浮いた
そして、そのまま咲子の手を離れると、傘はふわりと頭上を超えて翻った
あ!
咲子が眩しさに目を細め、空を見上げたその時だった
どこからか別の大きな手が現れ、白いレース傘の銀色の柄を見事に掴んでいた
視界に入ったその人は
「大丈夫か、ほら、傘」
まだうまく事態を飲み込めていない咲子の顔を見下ろすと、銀の柄を差し出してきた
そこにはどこか困ったように微笑む端正な顔立ちをした男性が立っていた
「わぁ、院長、お、おはようございます!」
驚いた咲子の頬にパッと赤みが差した
咲子より20cmほども背の高い、かなり年上のその男性は咲子の雇い主でもある歯科医院の院長だった
「ん、おはよう」
院長は差し出された白く細い手に傘の柄を託すと咲子の前を歩き出した
咲子は置いていかれないよう足早に彼の後を追う
再度、風のいたずらが咲子の傘をたわませた
「今度はちゃんと持っとけよ」
振り返ったその顔の予想外の笑顔に、咲子は嬉しいやら恥ずかしいやら、白い傘の中に隠れてこっそり笑った
お題
風に身をまかせ
5/14/2026, 3:43:12 PM