おさしみ泥棒

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 写真にうつるのはあまり好きじゃないのだと言っていた。どうしてと訊けば、千秋は笑って、魂が抜かれるからだよと答えた。
 自分は撮られるのが嫌いなくせに、ひとにはカメラを向けてくる。私は特に明治時代の思想なんかは持ち合わせていないので、そのたびにピースをして、キメ顔をつくるのだが。一緒にうつろうよと言っても、千秋はいつだって、「俺はいいよ」と返す。
 千秋は基本的に、私のわがままを受け入れてくれる、優しい彼氏だ。けれども自分が写真にうつることだけは、穏やかに、しかし頑なに拒む。「へんなの」と思うけど、まあ、嫌だと思うことなんて人それぞれだものね。そんなふうに自分を納得させるのだった。

 ある夜、千秋はコンビニに行くと言って家を出たきり帰ってこなくなった。
 連絡はつかず、心当たりのある人や場所をあたっても、行方は依然としてわからない。警察に行方不明届を出して見つからないまま、もう二年になる。
 千秋に家族はいない。だから、帰る場所は私のもと以外にない。他に女でもいたのかと考えたりもしたが、どうしても、そうは思えなかった。思いたくないという気持ちも、もちろんあるけれど。
 千秋が私に向ける目、ふれる体温と、名前を呼ぶ声。それらのどれをとっても、彼は私を、きっとだれよりも大切に想っていた。とんだ自惚れ女だと嗤われようが、私は心からそう信じている。

 過ぎ去った日々を思い起こそうと、カメラロールを遡るけれど、一枚だって彼の写真は残っていない。千秋はたしかに、そこにいたはずなのに。
 最初から、いなくなるつもりだったのではないかと思う。たとえば死期を悟った猫が、静かに姿を消すように。そうして誰の目にもつかないところで、ひっそりと息を引き取るように。
 そう思い当たったのには、わけがある。いつか千秋が言っていたのだ。死に場所を探しているのだと。
 なんでもない日の朝、トーストにジャムを塗りながら、千秋は静かに、けれどもたしかにそう言った。
 私はどきりとした。けれども私がなにか言う前に、彼が「なんてね」と笑ったので、ほっとして、もうやめてよ、と返した。
 ただの冗談だと思いながらも、しばらく心臓がどくどくうるさかったのは、前々から無意識に、不安を感じていたからだろう。彼はどこか、不確かで危うかった。ふっと音もなく消えてしまいそうで。
 それに、私は覚えている。あのとき、彼の双眸がわずかに翳ったことを。思えばあれが、分岐点だったのかもしれない。
 あの朝の食卓で、寂しそうに笑った彼を、一滴の雫のようにこぼれ落ちた告白を、ちゃんと手のひらで、受け止めていれば。千秋はいまも、私の隣にいたのだろうか。

【テーマ:過ぎ去った日々】

3/9/2026, 12:07:50 PM