〈星になる〉
もう半世紀以上前のこと。法事からの帰りだったと思う。
まだ小学校に上がる前、父の運転する車の後部座席で、窓の外をぼんやりと眺めていた。
夜の高速道路。暗闇の中を規則正しく並ぶ街灯が、車の速度に合わせて次々と流れていく。オレンジ色の光の粒が、まるで流れ星のように見えた。
あの光景が、俺の原風景なのかもしれない。
──
二十代の頃、無理してローンを組んで車を買った。
当時流行っていたスポーツカーじゃない、2シーターの小さな赤い車。
友人たちには「軽自動車かよ」と笑われた。「そんなんじゃデートにも誘えないぞ」とも言われたけれど、構わなかった。
見かけによらず力強く走るこの相棒と、ひとりで夜を駆けるのが好きだった。
会社の後輩を、初めてドライブに誘ったのはいつだっただろう?
休憩時間の雑談で、どんなところにドライブに行くのか話題になっていたんだ。
俺が行くのは特別な場所じゃない、湾岸線を流して、工業地帯の灯りを眺めに行くだけ。
「私、都心の方に車で行ったことないんですよ」という彼女を、誘うような形になった。
首都高から湾岸線、開発途中のお台場。
テレビ局が移転してくるとか、通勤大変じゃない?とか。そんな他愛のない会話をしながら車を走らせる。
「遠足で来るのとは全然違いますね」
休憩した海のそばの公園で、彼女は缶コーヒーを片手に笑う。とにかく車から眺める景色は新鮮だと言う。
渋滞に巻き込まれても、なぜか会話は途切れなかった。
仕事の愚痴、子どもの頃の話、好きな音楽。車内は、小さな宇宙みたいだった。
郊外の彼女の家まで送る帰り道、夕暮れから夜へと移り変わる時間帯だった。
カーラジオから流れてきた曲に、彼女がふと笑った。
「この歌と同じですね」
「え?」
「ほら、歌詞。
右に見える競馬場、左はビール工場って」
その頃流行りのミュージシャンが歌う、少し古い曲。
暮れゆく空に星が一つ、また一つと灯り始めた。
高速道路は滑走路のようにまっすぐ伸び、オレンジ色の街灯が、規則正しく流れていく。
「流星になったみたい」
彼女がフフ、と静かに笑う。
その言葉を聞いた瞬間、子供の頃見た流れ星のような街灯を思い出した。
彼女とは、その後も週末ドライブを楽しんだ。
埠頭近くに車を停めて、工業地帯の夜景を眺めるのがお決まりのコース。
会話を交わすうちに、何か確かな未来が見えた気がした。この人と、これから先も、こうやって夜を走っていくのかもしれない。
それ以来、助手席は彼女の指定席になった。
──
あれから三十年以上が経った。
あの赤い車はとっくに手放したし、長距離のドライブは還暦前の体にこたえるようになった。
でも、彼女は今も俺の隣にいる。
「テレビ、工場地帯の夜景やってるよ」
リビングから声がした。画面には、あの頃よく見に行った場所が映っている。
「昔はよく行ったよね」
「懐かしいな」
呟くと、彼女が編み物の手を止めて顔を上げた。
「また行く?」
「小高い丘の公園なら、夜景見られるだろう」
彼女が微笑む。あの時と同じ笑顔だ。
「行こうか」
コートを羽織って、車のキーを手に取る。
車を走らせると、街の灯りが窓の外を流れていく。あの頃と同じように。
公園の駐車場に車を停めて、二人で夜景を眺める。
ふと頭上を見上げると、冬の澄んだ空気の中で星が瞬いている。
子供の頃見た流れ星のような街灯。
若い頃一緒に見た工場地帯の夜景。
そして今、二人で見上げるこの星空。
時は流れても、変わらないものがある。
「寒くない?」
「大丈夫」
彼女が笑う。俺は彼女の手を握った。
俺たちは、互いに寄り添う星になっているのかもしれない。それぞれの人生の中で、ずっと瞬き続ける光として。
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「白い吐息」別ver.です。BGMは「中央フリーウェイ」。
この「2シーターの小さな赤い車」、ホンダシティのインテグラ辺りを想定してます。歳がばれますね。
12/15/2025, 8:22:58 AM