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今日は僕の『お気に入り』について書き留めようと思う。

・「何もかも憂鬱な夜に」 中村文則著

中村文則先生の本はどれも愛読しているが、その中で最も何度も見返し、沢山線を引き、付箋を貼り、くたびれているのがこの本である。僕の中身をチューニングするような本、と言っても過言ではないほど僕の一部になっている本だ。

刑務官の「僕」が未決囚の山井と交流していく中で、己を形成してきた過去や自分の本質について見つめ直していく作品なのだが、この本には特に印象的な人物が2人登場する。1人は「僕」の幼馴染であり、自殺して故人となっている真下、もう1人は「僕」の育ての親のような存在である施設長である。


真下は人間の抱える闇を擬人化したような人物である。彼が生前に書き残していたノートが作中に出てくるのだが、このノートの殴り書きというのがあまりにも身に覚えのある、残酷な、生々しい内容で、初めて読んだ時は本当に心が震えたのを覚えている。以下一部抜粋である。

『ギターを買う。でも、Fのコードが押さえられない。問題は、Fのコードが押さえられないことではなく、その努力をしたいほど、ギターを弾きたくないということだ。』
『こんなことを、こんな混沌を、感じない人がいるのだろうか。善良で明るく、朗らかに生きている人が、いるんだろうか。例えばこのノートを読んで、何だ汚い、暗い、気持ち悪い、とだけ、そういう風にだけ、思う人がいるのだろうか。僕は、そういう人になりたい。本当に、本当に、そういう人になりたい』

これだけでも彼の抱えていた虚しさや鬱屈、脱力感、そして絶望感が伝わるのではないだろうか。
そしてこれらの感情のどこかに親近感が湧いた人がいたなら、この本を読む事を強くお勧めする。なぜならこの本はこうした感情をやり過ごす答えが載っているのだから。そしてその答えを説く人物が先述した施設長である。

施設長が説く方法、それは「とにかく芸術に触れる」という何とも単純明快なものである。しかし、施設長は単に芸術に詳しくなれ、と説いているわけではない。多くの人に平等にひらかれている芸術を通し、そこから何を受け取り、どう考えるか、その思考を広げる努力をする事を「僕」に勧めるのだ。

『考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる』

上記は施設長の台詞の一部だが、この施設長の考え方は僕の人生の価値観を改めるきっかけになった。
とはいえ何から手をつけたらいいか分からない、と心配する人も安心して欲しい。この本にはまるでリストのように様々な芸術家の名前や音楽家の名前が載っているので、片っ端からそれらに触れてみるのも良いかもしれない。

この物語の最後、「僕」が行き着く答えもなんとも素敵なのだが…そこまで書いてしまうと流石にネタバレが過ぎる気がするのでこの辺りでやめておく。
また、この小説は作中に何度も「水」の描写が出てくる。海、雨、川、雨樋を滴る水、配水管…
頭の中でそうした水の音が常に何処かで響いているような「何もかも憂鬱な夜に」是非読んでほしい。

2/17/2023, 4:07:54 PM