Yuno*

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【街の明かり】

屋上から眺める景色は緑が多く、疲れた眼や頭をスッキリさせてくれて丁度良い。
普段から俺は休憩する時、喫煙室や休憩室よりも屋上に行く事が多かった。

今日は残業で、とうに日が落ちているが気分転換に屋上に向かう。
社内の自販機で買った缶コーヒーを飲み、街の明かりを見下ろしながら一服していると、背後から部下の声が聞こえた。

「課長。お疲れ様です」
「おう、お疲れ」

まだまだ新人に毛が生えた程度と思っていた部下だが、来期には主任に昇格する事が内定していると人事部に居る俺の同期が教えてくれた。彼女の同期の中では一番手だそうだ。

「私も此処に居て構いませんか?」
「ああ」
「有難うございます」

同意はしたものの、仕事抜きでするような話題などこちらは持ち合わせていない。ただ沈黙が流れるだけだと思うのだが、彼女はさして気にする風でもなく俺の左隣に来ると、早速着ていたジャケットの内ポケットをごそごそ探って小さな箱を取り出した。

「これ、良かったらどうぞ」

差し出された手の上には、昔懐かしいキャラメルの包みが一粒。

「キャラメルか」
「はい。課長、今日ずいぶんお疲れの様子でしたので。あ、ひょっとして甘い物苦手でした?」
「いや、貰おう。―――済まんな」

受け取って口に放り込むと、ふんわりとした柔らかい甘さが広がる。何だかホッとして、怠い気分も和らいだ。

「何かホッとするんですよね。劇的に疲労回復する訳じゃないですけど、もうちょっと頑張れそうって位の元気は出ると言うか……」
「確かに」
「だからよく持ち歩いてるんです」

そう言って彼女が伸びをしながら俺に笑い掛けたその時―――


グキッ!!


鈍い音と共に、彼女が一瞬俺の視界から消えた。


「痛ッ! たたた……!! ―――聞こえちゃいましたよね、今の」
「……バッチリな」
「はは……今日ずっとデスクワークだったもので、凝り固まっちゃってて」

うずくまって腰を擦っている彼女は、バツが悪そうに力なく笑う。

「ったく、情けねぇな」

まだ若ェのに、と呆れつつも自然と笑みが浮かぶ。
その時不思議とまた、怠さが少し軽減されるような気がした。

「……ホレ」
「はい?」

差し延べた手に彼女は眼を見張り、間抜けた声を上げる。

「立てるか」
「あ……有難うございます」
「立てるなら、ぎっくり腰じゃないようだな」
「はい。大丈夫そうです」

ポカンとしたまま俺の手に掴まり立ち上がると、彼女はじっと俺を見ていた。

(う……まさか手貸した位でセクハラとか言うつもりじゃあるまい?)

内心の動揺を抑え、さり気なく尋ねる。

「何だ、さっきから」
「いえ! 何でもないです。ただ、優しくされるのって慣れてないので」

この程度で「優しく」されたと言われるとは想像していなかった。
そう言うと、慌てて彼女が弁明する。

「だって皆、私の事普段女扱いしないじゃないですか。あ、勿論それで良いんですけど、その……」

弁明する内に、彼女の顔がみるみる紅潮していく。
いつも朗らかだが、基本的に冷静且つサバサバしている彼女のそんな動揺する姿など、滅多に見られるものじゃない。

「なっ、何がおかしいんですか!?」

我知らず笑っていた様で、彼女はムッとした表情で俺を睨む。
顔を真っ赤にして睨んで来たところで、怖くも何ともないのだが。

「ん? ……何、珍しいモン見たと思ってな」

(―――可愛い、と思ったのは黙っとくか。それこそセクハラだ)

最近は特に繁忙期で社内が若干ピリついていて、人前でこんな風に笑う事などほとんどなかった気がする。
だが、今こうして休憩時間を彼女と過ごすこの空気は、少し気恥ずかしいが……悪くない。

そう思ってしまった自分に戸惑い、俺は街の明かりを眺める振りで表情を隠した。

7/9/2023, 8:37:18 AM