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「千夏はさ」
ピンクのベットに腰をかけ、真っ白い天井を眺めながら明菜が話はじめる。
「大人になったらさ、街に出ようとか思うん」
「思わないよ」
シャーペンを動かす手を止めずに答える。教科書の擦れる音がする。
「なんで?」
「...」
シャーペンの音がコツコツと響く。
「春翔くんやろ」
思わず手を止めた。明菜の勘の鋭さにびっくりしたのだ。いや、これはただの勘では無いのかもしれない。私の隅から隅までを観察して、そこから出た推測かもしれない。明菜は昔からそう言うところがあった。人の僅かな変化にもすぐ気がつくし、何を考えているかも察せる。明菜の観察眼にはほんと驚かされる。魔法みたいだねと昔喩えたことがある。
「なんで」
「なんでわかるん」
もう春翔は死んでいるのに、まだ想い出を捨てきれずにいるのを、なぜ彼女は察したのだろう。
「なんでって、千夏。ほんとに好きやったやないの、春翔くんのこと」
「でも、春翔は...もういないんだから」
「いないからこそでしょ、想い出はこの町にしか残っとらんのやから」
ベットの頭側の窓を見つめる。もうすでに日が暮れていた。横顔に夕陽がかかる。
「いつまでも囚われてちゃダメだよ」
明菜の声だとすぐに気づかないほど、低く、そして、どこか悲しい声だった。まるで自分に言い聞かせているように...
「私もう帰るね」と、乱雑に散らかった教科書やらを片付けて、足早に出て行ってしまった。机の上のオレンジジュースを入れたコップが、汗を流した。私もキリがついたからもうやめようと思い、片付け始める。
片付けが終わり、ベットに腰をかけて夕日を眺める。遠いあの日々を思い出す。
鬼ごっこをした日も、バッタを捕まえた日も、365日、この赤い夕日が見えだすと家へと帰った。暗くなってから帰ると、親からこっ酷く怒られるからだった。窓の外を蜻蛉が通り過ぎる。夕日に向かう蜻蛉は赤く染まって見えた。とんぼのめがねと言う童謡を昔歌ったのを思い出した。いつなのだろう?幼稚園か小学校か...。歌詞を口ずさんでみる。案外覚えているものだ。合っているのかどうかはわからないが。
青い空 ピカピカ光る太陽 優しく燃える夕焼け雲
おんなじとんぼなのに、時間帯によって変化する。不思議に思えるが、実はほとんどがそうなのだ。
この町だって、春翔も...
廊下でふざけ合っている時も、授業を聞かずに真剣に窓の外を見つめている時も、帰り道を一緒に歩く時も、放課後いっしょに遊ぶ時も、全部違って見えた。ただ一つ同じなのは角ばったその指先だけだった。
春翔....。
窓にもたれかかる。
夕日がまた顔を照らすのだった。

「きて、明菜、千夏」
「なあにー?」
桃色のワンピースの少女が駆けていく。半袖短パンの少女が後を追う。
「とんぼだよ」
「やだー、こわい」はなしてあげなよ」
ワンピースの少女が叫ぶ。
「こんくらい大丈夫だよ、さわる?」
「さわらないよぉ、ねえ明菜」
うんうん、と半袖の少女が頷く。「噛まれても知らないから」
「かわいそうだからもう逃してよー!」
「そうだよ春翔、羽が折れちゃったらどうするの!」
「ちぇっ、お前ら、バッタやダンゴムシなんかは捕まえるくせに嫌いな虫は触ろうとすらしないんだ」
「わかったよ、」と少年は不服そうにとんぼを逃す。トンボはゆらゆらと夕日に浮かんだ。少年に捕まれるほどに弱っていたのだから当然だが、数m進んだあたりで落下した。羽を必須に動かし地面を這っている。ジジジジと音がする。
「春翔のせいじゃん!」
ワンピースの少女が怒鳴る。
「おれじゃねーよ、元からきっと弱ってたんだよ!」
「あーあかわいそう、お墓ぐらい作ってあげてよ」
半袖の少女がわざとらしく言う。
「めんどくせー!お前らがやればー?」
少年は道路と垂直に交わる砂利道を走った。
「待てーっ」

目が覚めた。外はもう暗い。1時間ほど寝てしまったようだ。「千夏ーっ」
「ご飯できてるわよ」
「今行くー!」

6/11/2023, 11:31:20 AM