いつか夢は叶うものだと、誰もが歌っていた。
例えばクラスの冴えない女子が、ある日突然とある御曹司に告白されるように。
例えば一人ぼっちの寂しい女の子が、神様に愛されて幸せな日々を過ごすように。
例えば家族に虐げられたお姫様が、隣国の王子様と結婚するように。
物語の最後は、必ずめでたしめでたしで終わるのだ。
つまらない人生だった。
平凡な両親から生まれた、平凡な自分。
不細工ではなかったけれど、特に可愛い訳でもなかった。
クラスに馴染めずに、いつも一人きり。物語の中の世界が、唯一の居場所だった。
夢は叶うものだと、誰もが言っている。
ならば、この夢もいつか叶うだろう。
今のこの平凡でつまらない日々から連れ去ってくれるような、素敵な誰かと結婚をするのだ。
本当につまらない人生だった。
あっという間。眩しいヘッドライトと衝撃。
気づけば、一人ぼっち。手にしていたスマホは画面が粉々に割れて、好きだった物語の続きも読めない。誰にも気づいてもらえず、何もかもが終わってしまった。
夢は叶うと言っていたはずなのに、何一つ思い通りにはなっていない。
そう言えば、と思い出す。
雨上がりの夜。どこかの村で、花婿が花嫁を求めているらしい。それを見る事が出来れば、その人と結婚する事が出来るという。
ならば会いに行こう。本当ならば迎えに来てほしかったけれど、仕方がない。
そうして見つけた花婿は、でも一人の女性を追いかけて、私にはちっとも気づかない。
諦めきれなくて追いかけた先。花婿よりもとっても素敵な人に出会った。
彼女だろうか。花婿が追いかける女性の隣にいる綺麗な顔をした男性《ひと》。
やっぱり夢は叶うのだ。
女性は花婿と結婚する。それなら一人になる彼と、私が結婚すれば良い。
花婿の真似をして降らせた紫陽花の花を、彼は受け取ってくれた。
嬉しくて手を伸ばす。彼も同じように手を差し出した。
後は、祝縁寺で式を挙げるだけ。
「お姉ちゃんっ!」
楓《かえで》の声に、燈里《あかり》ははっとしたように顔を上げた。
寺の渡り廊下。仏堂の入口らしき黒塗りの扉に手をかける結《ゆい》の背を見ながら、燈里は詰めていた息を吐き出した。
遅れて襲う動悸に、胸を押さえて蹲る。楓に背をさすられながら、今し方過ぎていった誰かの記憶を燈里はただ漠然と思い返した。
まるで夢見る少女のような、拙くどこまでも他人任せな思い。独りよがりな感情が渦を巻いているようで、息苦しい。
「どうしたの?気分が悪いなら、無理せず今日は戻った方がいいと思うけど」
「だ、い、じょうぶ、です」
扉から手を離し振り返る結に、燈里は首を振る。何度か深く息を吐いて、ふらつきながらも立ち上がった。
「ここまで来て、今更戻れません……行かないと」
「そう?じゃあ開けるけど」
そう言って、結は扉へと向き直る。細い手が扉に掛かり、ゆっくりと開いていく。
暗い室内に外からもたらされた光が差し込み、露わになった異様な内部に、燈里は目を見張り息を呑んだ。
「これって……もしかして、この寺は」
仏堂と呼ばれながらも、そこには仏像が安置されていない。
何もない、板張りの部屋。だが代わりに、壁に掛けられた無数の絵が、ここがただの寺ではないのだと言葉なく告げていた。
「祝言絵図か。それもかなり古くから」
祝言を挙げた花婿と花嫁を描いたらしき絵図。
三方の壁を埋め尽くすほど、無数に飾られた絵を見渡しながら、楓は目を細め呟いた。
「しかもただの絵図じゃない。片方は未婚の死者を描いているね。祝縁寺とはよく言ったもんだ」
「幽婚……だから参進の儀でありながら、葬列」
「かなり前から描かなくなったけどね。ま、描いた所でもう飾る場所はないけどさ」
仏堂の隅に置かれた燭台に火を灯しながら、結は肩を竦めてみせる。呆然と絵図を見つめる燈里に近づき肩を叩くと、正面の壁を指差した。
「絵に覆われてるけど、この先にも部屋があるんだよ。たぶん、いるとしたらそこじゃない?」
結の指差す方へ視線を向ける燈里に、結は笑って頑張ってと声をかける。
踵を返し外へと向かい、だが入口で立ち止まると振り返る。
「あたしはもう帰るけど。もしここの今の管理者に話が聞きたいのなら、石段下りて最初の、ぽつんと建ってる小さな家に行くといいよ。出てきてくれるかは知らないけど」
「あ、ありがとうっ!」
それだけを告げ、今度こそ結は去って行く。その背に燈里は慌てて礼を言えば、返事代わりに手を振り。
結の姿が見えなくなるとほぼ同時。仏堂の扉が、音もなく閉まった。
「おっと、閉じ込められたみたいだ」
閉まる扉を一瞥して、楓は燈里に視線を向ける。
閉じ込められたという割に、焦る様子は見られない。燈里もまた取り乱す事なく扉を見つめ、そして正面の壁へと視線を移した。
「戻り道は、全部終わってから考えればいい。今は先に進まないと」
小さく呟いて、壁へと近づく。
遠目からでは分からなかったが、下方に小さな扉があるようだ。飾られている絵図が収まる額を、ひとつひとつ丁寧に外していく。
そのひとつを手にし、燈里は眉を潜めた。
「何だい、これは?」
隣で同じように額をよけていた楓が、燈里の手元ののぞき込み、同じように眉を寄せる。
「花嫁が真っ黒だね。よっぽど腹に据えかねていたのかな」
呆れたような楓に何も言わず、燈里は額を指先でなぞる。
花婿と花嫁が描かれた祝言絵図。しかし、その一枚だけは、花嫁の姿だけが黒く念入りに塗り潰されていた。
「幽婚は祖霊祭祀や、残された人々の慰めとして行われる、大切なものなのに」
かつて家を単位としていた頃の古い祖霊祭祀では、祝言を挙げ子孫を残す前に亡くなった霊は、酷く曖昧な存在だった。そのままでは無縁仏や荒霊になりやすいと恐れられ、故に幽婚や冥婚と呼ばれる、死後婚を行う事で防いでいた。
仏堂に飾られた、この無数の祝言絵図も幽婚の一種だ。未婚のままで亡くなった者のために、架空の花婿や花嫁を描いて奉納されたのだろう。
子を失った家族の嘆き。せめて婚礼を上げさせたいという、親のささやかな願い。
この絵を描いた残された者を思い、燈里は悲しげに目を伏せる。
「死者と生者を契らせる事は、人間にとっての禁忌だからね……でも残された者にとっては、それが許せなくなる事もあるものさ」
燈里の背を撫で、楓は額を取り上げた。
「それよりも、早くあれを見つけないと。燈里がさっき視たのがあれを連れて行ったやつなら、とてもよろしくない事が起きる予感がするよ」
「よろしくない事?」
「あれは燈里が絡むと、気持ち悪いくらい阿呆になるから」
大仰に肩を竦めて額を置く。残る最後の一枚を見て、可哀想にと微かに独り言ちながら手をかける。
それは、他の絵図とは明らかに違っていた。画用紙に描かれた、子供のような筆致の絵。可愛らしくデフォルメされた笑顔の花嫁と花婿が、余計に異様さを際立たせていた。
「この先にいるね……燈里。怖いなら、下がっておいで」
楓の優しい言葉に、燈里は笑って首を振った。画用紙に手をかけている楓の手に自らの手を重ね、そっと握る。
「大丈夫。行こう」
その言葉と同時、燈里と楓はテープで貼り付けられただけの画用紙を、躊躇なく引き剥がした。
「――っ!?」
扉に手をかけた瞬間。
向こう側から、耳をつんざく女の悲鳴が響き渡った。
20250607 『夢見る少女のように』
6/8/2025, 11:52:50 AM