白井墓守

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『幸せとは』

幸せとはいったいなんだというのだろう。
そんなもの、砂糖菓子のように踏めば壊れてしまう、夢のなかにしか存在しない偽りなのだ。

「若、すこし気が入りすぎておりまするぞ。あまりにも頑張りすぎるのは、身体を壊してしまわないか、この老体めは心配でございまする」
「爺か……心配させて、すまないな。だが、我はやらねばならぬのだ。あの憎き一門に、両親や幼い妹達の敵を打つまでは、我に休む暇など、存在しない」
「若……せめて、お夜食をお持ちします。少しの間だけ、休憩なさってください。倒れてしまっては、若の目標達成が遠退いてしまいまするぞ」
「……そうだな、ありがとう」

障子の向こうへと爺が消えていく。
僕は手に持った筆と、書いていた半紙を数秒間見つめたあと、振り絞るようにし、筆を硯に寝かせた。
そして、横に置いてあった湯呑みを手に取り茶を啜る。

……あたたかい。
ずずっと啜った茶は、ほんのり甘く、そのあたたかさは両親に抱き締められたような温かさで身体に染み入った。

此処に来てから茶を飲むとき、その茶が冷めていたことは、なかった。きっと爺がたびたび淹れ直してくれているのだろう。
その温かい心に涙が出そうになって、急いで鼻をすすった。

今はまだ泣くわけにはいかない。
両親や妹の敵を打ってないし、なにより、あの憎き一門が生きているのだ。アイツらが生きている限りは、僕たちはずっと日陰の身だ。どこにだって、安心して暮らせる場所なんて――ない。

「にして、爺……少し、遅くないか??」

そういえば、と思うように、ふと……そう思った。
心がざわめく。
あのときも、そうだった。そう、みんなを失った、あの日も!

どうしよう、一瞬にしてパニックになる心を、強く拳で打ち付けて顔を上げた。
杞憂なら、それでいい。生きてさえ、居てくれれば。

閉ざされた障子を勢いよく開け、台所へと走り出す。

!!
……台所で、爺以外の声が、する。
おかしい!! この屋敷には、僕と爺以外いない筈なのに!!

ごくり。
あのときから常に持っている小刀を確め、抜ける事を確認する。
……僕は、はじめて人を殺すかもしれない。
だが、そんなこと。残った唯一の家族を失うことに比べたら何だというんだ。

僕は覚悟を決めて踏み行った。
中に居たのは、どこにでも居そうな町娘みたいな女人だった。
だが僕は油断しない。
あのときもそうだったのだ。
“恋愛にウブな坊っちゃんは、誑かしやすかったわぁ”
どこにでも居そうな町娘に扮して、罪もない僕らの家族をぐっちゃぐちゃに、かき乱していった。
僕のせいだ。僕が招いた。
だから僕は油断しない。信じない。

キツく睨みつけ、女人の首元に抜き身の刃を突きつける。

「お前、何者だ。爺をどうした」
「……ひ、あ……え、わたし、……ちが」
「余計なことは喋るな! 僕の家族を! 爺をどこにやった!!」

手に力が入る。
突き立てた刃が首筋に当たり、血がつーーっと落ちていく。
一瞬に力が緩みそうになるも、家族の亡骸を思いだし、僕は再び力を込めた。あんなことは、もう絶対に起こさせない。

「答えろ! さもないとお前の首を切り落とす!!」

固まったふりをしたような、何も言わない女人に痺れを切らして、僕は怒鳴りつけた。
まさか、もう死んでいて答えられないとか。いや、そんなはずはない、そうだ、そうだよな?? 爺……無事で、居てくれ!!

「爺はどこだ!?」
「爺はここですぞ!!」
「痛っ!!!」

その時だった。
後ろから爺の声がしたかと思うと僕の後頭部に衝撃が走って頭に星が回る。思わず小刀を落とし、しゃがみこんで頭を抱えて踞って床に崩れ落ちる。
涙を滲ませながら開いた目には、爺が女人に心配そうに駆け寄っていく姿が見えた。

「大丈夫ですかな?」
「……は、はい」

優しく声をかける爺。
安心したみたいに、へにょりと腰が抜ける女人。
……なんなんだ??

「まったく、爺は怒っていますぞ! 爺は坊っちゃんに、そのような振る舞いの仕方を教えたことは無いですぞ!」
「……坊っちゃんっていうなよ」
「今のは坊っちゃんと言われて当然です!」
「誰なんだ、そいつ……アイツみたいに、くの一とかじゃないのか」
「! ……坊っちゃん。違います。あんな女狐ではありませぬ。爺が保証します。ただの行き場のない若いおなごです」
「……本当に?」
「はい。仕事と偽って遊女にさせられそうなところを、爺がたまたま見つけ連れてきたのですから」
「そっか……ご、ごめん」

僕はすごく申し訳ない気持ちになり、心の底から反省して彼女に謝った。

「あ、いえ。その……びっくりはしましたし、怖かったですけど、その……大丈夫、です!」
「ところで、君、どこから来たの?」
「えっと、その……“東京”っていって、分かりますか?」
「とーきょー? 僕は聞いたことないな。爺は」
「爺も聞いたことがありませぬなぁ」
「そうだな、“江戸”の中では無さそうだ」

そういって首を傾げると、彼女は悟ったような顔で目から光を無くし虚ろに笑っていた。ど、どうした??

「わたし、タイムスリップしちゃった」


……続かない。

おわり

長くなりすぎて、大変申し訳ない。切りどころが見つかりませんでした。次はもっと短くまとめたいと思います。




1/4/2026, 11:39:53 PM