ドロップス缶が好きだ。レトロな柄の缶の中に、8色の宝石が入ったお菓子。入り口は丸くくり抜かれていて、逆さまにして上下に振ると8/1の確率で選ばれた味が食べられる。
イチゴ、レモン、オレンジ、スモモ、パイン、メロン、リンゴ、ハッカ。
全部で7色。そう、レモンとハッカが同じ色(正確には少し違うのだが)なのだ。
他の味が飴独特のカラフルな色味をしている中、この2種は二つとも薄めた水色のような、透明な雨のような色をしている。どちらかが選ばれた場合、一瞬で見分けがつく人はあまりいないだろう。
幼い頃、メロン味が一番好きだった。砂糖をまとって少し濁った緑色が綺麗だったからだ。そしてハッカ味が一番好きではなかった。だけどこれは所謂ガチャガチャなので、ハッカが出てくることだってある。私はドロップスを食べる時のルールとして、出てきた味は必ず食べる、と決めていた。その理由は一日の運試しのような要素を担っているというということと、もう一つは最後に好きな味ばかりが残るのも嫌いな味ばかりが残るのもどちらも嫌だったからだ。
どうしてハッカ味を作ったのだろう、と考えたことがあった。当時の私は、これに対して嘘つきだと思った。フルーツの飴の缶にハッカ味が入っているだなんて。しかもこれは一般的には子供のお菓子だ。ハッカ味なんて、好きな子供がいるだろうか。初めから7種類にしてしまえばよかったのにとか、8種類にしたかったのならもう一つもフルーツにするべきだったのではないだろうか。例えばぶどう味とか、ピーチ味とか。
だから私は昔からずっと、ハッカ味が出た日はハズレ。占いの最下位のような感覚で生きることにしていた。
私には当時、近所に住んでいる高校生のおねえさんがいた。おねえさんは髪が長くて、背が高くて、お母さんがあの子はいい学校にかよっているのよ、としきりに言っていたから、きっと頭も良かった。おねえさんはすれ違うといつも私に笑顔で挨拶をしてくれて、たまにお菓子をくれることもあった。もともとはおねえさんがたまにサクマドロップスをくれることがきっかけだ。まだ小学生だった私にとっておねえさんはすごく大人で、それに憧れて好きになったのだ。
ある日気づいた。おねえさんは、いつも一人だった。誰かと歩いている姿が見たことがなくて、同じ時間に通学路で鉢合わせる。加えてなんだか消えてしまいそうに儚くて、だけど私に笑いかけるその時はとても穏やかに微笑む。
そんなおねえさんがくれたお菓子がドロップスだったある日。それはハッカ味だった。その日は私が自分で出した味も同じくハッカだったので、少し機嫌を損ねたことがあった。今思えばひどく子供だった。
他のがいい、と頬を膨らませる私に、おねえさんは飴玉を空に透かしてこう言った。
「見て、綺麗。」
太陽に反射した宝石はキラキラと輝いて、おねえさんはそれを眩しそうに見つめた後、少しして私の方へと差し出した。私はそれを受け取って口に含んだ。
おねえさんの前で食べたハッカ味の飴玉は、なんだかいつもよりスーッとして美味しくなかった。だけど私は、なんだか少し大人になれたような気がして悪くない気分だった。
私は当時のおねえさんと同い年くらいになった。今でもドロップスが好きだ。昔みたいに毎日は食べないけれど、いいことがあった日も、悲しいことがあった日も、一粒口に放り込めばなんだか大丈夫な気がするのだ。
ハッカ味の飴玉を、太陽に透かしてみる。おねえさんは今いくつになっただろうか。いい大学に進学して東京に行ったと聞いた。今もおねえさんがドロップスを好きだったらいいな、と思う反面、あの宝石が必要ないくらい、おねえさんが温かい毎日を送れていたらいいなと思う。
そんなことを思いながら食べたハッカ味はあの日よりも美味しくて、ドロップスは7色じゃなくてよかったと思った。
3/27/2025, 12:44:51 PM