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理想郷


誰もが憧れ、その場所に行くことを望んだ。
とある冒険家は意気揚々と探しに行き、何年経っても戻ることはなかった。
ある人は言う。彼は理想郷を見つけることなく、故郷にも帰れず、見知らぬ土地で最期を迎えた、と。
ある人は言う。彼は見つけることができた。理想郷と呼ぶにふさわしい場所を、そしてそこで永遠に暮らすことにしたのだ、と。

本をぱたり、と閉じて隣に座る女性に問いかける。
「理想郷はどこにあるの?」
彼女は微笑んで、こう言った。
「北にあるのよ」

何年も前にした会話なのに、昨日のことのように思い出せる。だからなのか、気がついたら足は北を目指していた。
だんだんと寒くなる気候に、心がわくわくと子どものように高鳴る。
でも、北の最果てには何もなかった。あるのは地平線と大きな青い空だけだった。
そのまま北に歩き続けた結果、一周して戻ってきた。
「理想郷なんてなかったよ」
そう言えば、やっぱり彼女は笑った。
「探しているうちは見つからないのかもね」
「どうしたら理想郷に行けるの?」
「いつか、きっとわかる日が来る。そしたらきっと理想郷を見つけることができるわ」

それから何年も経って、病院から連絡が入った。慌てて駆けつければ、そこには随分と老いた母がいた。弱々しい体なのに瞳だけはあの頃と同じように優しくて。
泣きそうになるのをこらえるようにしていれば、彼女は微笑みながら、こちらに手を伸ばした。
「すこしだけ、北に行ってくるね」
「……え?」
「大丈夫よ。理想郷は、ここにある」
胸にそっと手を押し当てて、微笑んだまま彼女の時はとまった。
そして、彼女は北に行った。彼女の待つ理想郷はそこにあるから。
ああ、ようやくわかった気がする。理想郷は確かに北にあった。進み続けたその先にたどり着いたこの場所が確かに理想郷で、愛する人がいる唯一の場所だったのだと。
頭の中で思い浮かべていた理想郷とはひどく程遠いけれど、それでも泣きたくなるくらいに美しく、とても残酷な世界が愛しかった。

10/31/2022, 1:31:03 PM