(題目しらず)
大学の研究室。
先生に説明していた時、私は言った。
「すみません、伝わらなかったですよね。
自分、説明力なくて…。」
その時先生に返された言葉を
私はずっと覚え、胸に刻んでいる。
「大丈夫。相手に伝わるかどうかは
説明力と理解力の組み合わせだから。」
つまり、伝わらなかったとしたら
俺の理解力もなかったということだから
お互い様だ、と先生はおっしゃった。
私だけかな?
この因数分解は大学生の私にとって
なかなかの衝撃だった。
説明力のある/ない
理解力のある/ない
説明力ある×理解力ある → 伝わる
説明力ない×理解力ある → 伝わる
説明力ある×理解力ない → 伝わる
説明力ない×理解力ない → 伝わらない
つまり、双方が「ない」時だけ「伝わらない」
おかしくない?って思う人がいるかもしれない。
たぶん、「ある」の認識が異なっていると思う。
説明力があるとは、
“相手を理解させるだけの”説明力がある
ということ。
理解力があるとは、
“相手の話を理解するだけの”理解力がある
ということ。
だから、どちらか一方があれば
話は伝わるということになる。
小さな子供が一生懸命説明した時
理解できる人とできない人に分かれる。
なんなら、説明さえせずとも
理解してしまう人はいるだろう。笑
説明力は、知識がまったくない人に
物事を教える時に言えるかもしれない。
とにかく、この話を聞いてから
私は意識するようになった。
理解力をだ。
相手の本意や真意を意識して
話を聞くようになった。
小さな事だがもう何年も続けている。
「もう仏様だもんね」と先日言われたから
それなりに身についているのかもしれない。
けれど、確実にまだ足りないから
本当に仏様になるまで続けようと思う。
つまり永遠だ 笑
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ちなみにこの先生、
なぜ私が恩師と呼んでいないか。
パワハラで有名な先生だったからだ。笑
でも、苦労して生きてきた先生で
けっこう良い言葉をたくさん下さった。
彼がしているパワハラより
何倍も過酷な環境を生きてきている。
彼はなかなか口下手で
学生に話しかけないといけないから
咄嗟にブラックジョークを言ったら
それを真に受けた学生が尻込みしていく構図だ。
でも擁護はできない。
冗談でなく本気で思ってることを
冗談風に言っているだけだからだ。
深夜0時に研究室から帰ろうとすると
「あれ?もう帰るんだぁ?!」と言われる。
他の学生は気にしていたが私は気にしない。笑
「ええ、0時以降に寝る人は脳に悪影響が出るってこの前研究成果が発表されてたんで 笑」
と言って帰る。
(彼がそんな時間までいるのも、学生思いの優しい理由があるにはある。だが…笑)
何が言いたいかというと、
良い言葉を言う人は善行しかしないわけじゃない。
どんな人からも聞く耳は持っておいた方がいいのかもしれない。
そういう私もいい人間ではない。
だから、どんな人とも話せるのかもしれない。
11/18/2024, 11:32:48 AM