紙ふうせん

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早いものだ。久保樹(いつき)と私、間宮有希が付き合いだして5年になる。

樹は、その方が毎日が大切で新鮮だから「1年間だけ付き合おう」と毎年言うのだと言った。「バカみたい。そんなのヤメヤメ!」の私の一言で3度目はなかった。
樹は本気で毎年やろうとしてたらしい。
呆れて何も言う気になれない。

樹と私は大学生になった。同じ大学に通っている。
言っておくが、断じて合わせたのではない。
たまたま志望大学が同じだったのだ。

相変わらず樹は優しい。
私が腹が立つことがあり、文句を言っていても「うんうん」と穏やかにきいている。

一度、聞いてみた事があった。
「ねえ、私、樹が怒った顔って見た事ないんだけれど、腹立つ事ってないの?」と言うと
アイスコーヒーを飲んでいた樹が、困った様に「うーん」と言ってから軽く5分は考えてから「ないと思う」と言った。

「たとえば、そうやってアイスコーヒーを飲んでる時にそばを通った子に熱いコーヒーかけられたら?」と言うと「わざとじゃないんだから、しかたないよ」と言う。
「じゃあ、すれ違いざまに転んだ人が樹のお気に入りの服を掴んで破ったら?」
「それは悲しいけれど、布は破れるからね」

私はだんだんイライラしてきた。
「なんで、腹が立たないのよ!!」と言うと、樹はアイスコーヒーにむせながら、コンコンと咳をして「……なんで有希が怒るの?」と言った。
私は呆れて、もう何も言う気がしなくなり、残りのアイスティーを飲んだ。

「僕、何かまずい事言った?」と言うので
テーブルに顔を伏せたまま「何もありません」と言った。
そうなのだ。樹は優しい。
こんな私に、本当に優しい。

すると樹は「ねえ、今年で有希と付き合って5年目だから、今年のクリスマスは、ちょっと贅沢なお店で食事をして、お互いプレゼント交換しようよ」と言った。
それは、私も考えていた。先を越されちょっとムッとなった。

でも、それを言うのはあまりに大人気ないので「うん!私もそう思っていた!」と言うと、樹は嬉しそうに「じゃあ、決まりだね」と言って穏やかに笑った。この笑顔だ。
私は樹の、この全てを包み込むような笑顔に弱いのだ。

そして、それから私は、テストでもここまで真剣だったか、と思うくらい、樹へのプレゼントをひたすら考えていた。

ありきたりの物じゃだめだ。
だって、記念のプレゼントだもの。
バイト代を貯めていたのでけっこうな金額の物でも買える。いやいや、金額じゃない。
気持ちのこもった物でなきゃ。
そして、出来たら身につけてもらえる物がいい。
ベッドの上をゴロゴロしながら熱が出そうなくらい、考えた。

結局、男の人が身につけていてもおかしくない物、という事で、腕時計にした。
ーあんなに考えたのに、ありきたりじゃんー
そう思いながら、それでも樹に似合いそうな腕時計を真剣に選んだ。

その日、私は樹と初めてクリスマスに出かけた時の、襟のたっぷりしたモヘアのタートルネックのセーターを着て、初めて樹にもらった、雪の結晶のネックレスをつけた。

待ち合わせの場所に、やはり樹はもう来ていた。いつもそうだ。樹は時間よりかなり早く来る。そしてこれもいつもの事で「お待たせ!」と私は言う。

「ううん、僕も来たばかり」と樹が言い、ウソばっか、と思いながら、並んで歩く。

そこはホテルのレストランで、かなり高級そうだった。お金は多めに用意したけれど(私と樹は、私の提案で必ず割り勘なのだ。樹は渋々承知したのだけれど)足りるかな、と少し心配になった。
樹は、そんな私の心中を察したかのように、
「ここ、見た目のわりにリーブナブルなんだよ」と言った。

店内に入り、コートを脱ぐと、樹は初めてのクリスマスプレゼントの、私の編んだネイビーブルーのセーターを着ていてくれた。
びっくりして「そのセーター、まだ持っていたの?」と聞くと「有希だって、僕のあげたネックレスをしてくれているよ」と言った。

メニューを見ると、樹の言うとおり、案外そんな高いものばかりでもなかった。

こうして、テーブルを挟んで座っていると、あの時のことが不意に蘇る。1年だけ付き合おう、と言われていたので、最初で最後の一緒のクリスマスだと思って、胸が詰まって嬉しいのに淋しかった事。

デザートを食べ終わり、コーヒーを飲んでいる時、私は「はい、これ、プレゼント!」と言ってプレゼント用にラッピングされた、腕時計を渡した。実は樹は物を大切にするので、今している腕時計もずいぶん古くなっているのだ。

「開けていいの?」と嬉しそうに言って、箱を開けて腕時計を見ると「嬉しいな。そういえば、この腕時計ずいぶんと古びているものね」と言うと、早速今のを外して、プレゼントした腕時計をつけてくれた。
かなり吟味した甲斐があり、それは樹によく似合った。「ありがとう。大切にするね」と樹はにっこりして言った。

樹は小さい箱にリボンがかかっている物を「はい、僕の気持ち」と言って微笑みながら渡してくれた。

わあ、なんだろう?開けるね?」と言って小さな箱をあけると、プラチナの小さなハートのついた指輪が入っていた。
そんな事思った事もなかったのでびっくりして、すぐにお礼が言えなかった。

「気に入らなかった?」と不安そうに樹が言う。やっと口が聞けるようになり、「指輪って、いつサイズ知ったの?」と私はお礼も言わずに間の抜けたことを聞いた。

すると樹は「2年目に雑貨屋さんで、有希がかわいいな〜、って言って指輪をはめたじゃない」と言われ、よくやく思い出した。

そうだ、あれはデート中、可愛い雑貨屋さんがあったので入ってふざけて指輪をしたのだ。
ー覚えていてくれたんだー

指にそうっとはめてるとサイズがピッタリだった。指輪をはめた指がやけに重く感じた。

「ありがとう、一生大切にするね」と心を込めて言った。

すると樹が「僕は、有希とずっと一緒にいたいから、婚約指輪のつもりなんだけど」と言った。ハッとして顔を上げるといつになく、真剣な顔をしていた。

「まだ若いし学生だから有希はゆっくり考えて」と穏やかに微笑みながら樹は言った。

お店を出て、並んで歩きなら、私はいつもより無口だった。

そして、いつも別れる場所で、反対側に渡った私は、暗い道を戻っていく樹に向かって「謹んでお受けしまーす!!」と叫んだ。

すると、樹が振り返り手を振るのが見えた。
ぶんぶんとやたら手を振るので、可笑しくて笑いながら涙が溢れた。


5/11/2023, 12:46:06 PM