まるで、秘境のような場所にある年季の入った旅館に宿泊した。
登山で迷い、日が暮れ、野宿かとなったところに灯りが見え、何とかこの宿に辿り着いた。
何だか日本昔話のような展開だが、地獄に仏だ。
この季節、山で野宿なんかしたら危険極まりない。
帳場で人を呼んでも、誰も出て来ない。
しばらく待っていると、帳場の後ろの扉の向こうから声がする。
「迷子ですか。お困りでしょう。この宿は部屋案内などありません。ご自由に、お好きな部屋にお泊まりくださいませ」
…マジか。まさに日本昔話的展開。
現代の日本にこんな宿があるのか?
まあ、お言葉に甘えて、好きな部屋に泊まらせてもらうことにする。
二階の廊下の一番奥の部屋。
年季は入っているが、落ち着いた、綺麗な和室だった。
そーいえば、宿泊料金がいくらか、聞いてなかったな。
まあ、カードもあるし、払えない額ってことはないだろう。
こんな場所だし、思いのほか安いかもしれない。
床に寝転がって、天井を見上げていると、入り口の障子戸で影が動いた。
見ると、障子戸の向こうに誰かがいて、声をかけてくる。
「いらっしゃいませ、お客様。当旅館では、お食事はすべて、お部屋まで運ばせていただいております。すでに用意が出来ましたので、こちらに置いておきますね。ごゆっくり、どうぞ」
「ああ、すみません。ありがとうござ…」
障子に映るシルエットを見て、言葉が止まる。
なんというか、明らかに普通の人間のシルエットではない。
これは…ろくろ首?
体の上に首が伸びて、天井近くで頭らしき影が揺らめいている。
そんな…馬鹿な。日本昔話の…ホラー回?
ダメだって。子供が泣くって。
大人な自分ですら悲鳴を上げそうなのを何とか堪えた。
「それでは、素敵な夜をお過ごしくださいませ」
シルエットは消えていった。
恐る恐る、障子を開ける。
果たして、そこには見るから美味そうな料理の数々が並んでいた。
山歩きで疲れ切っていたが、食欲だけはしっかりある。
料理を部屋に運び、爆速で食べ終えた。
美味い。美味すぎて、怪しんでる余裕なんて無かった。
もうこうなったら、さっきの仲居の言う通り、素敵な夜を過ごすべく、開き直るしかない。
そしてその後は、本当に素敵な夜を過ごした。
檜の内風呂で疲れを癒し、いつのまにか敷かれていた布団はふかふかで、部屋の温度もちょうど良く、窓の外からは静かな虫の声。
時折、山の奥の方から、獣の咆哮のようなものも聞こえたが、なおさらこの宿に辿り着けて良かったと心から思った。
明日山を降りたら、妖怪宿に泊まったと話の種にもなるだろう。
次の日の朝、気持ち良く目覚めた。
身支度を整え、帳場に向かうと、そこにいた仲居が驚いたような顔でこちらを見ている。
「あの…昨夜ご宿泊のお客様でしょうか?」
怯えたような声。
「ええ、昨夜遅くに着きまして、二階の一番奥の部屋に泊まらせていただきました」
「二階の一番奥は…物置部屋となっておりますが…」
「えっ…?」
まあ、そんなオチが待ってるんじゃないかとは思ってた。
妖怪に接客されて、まともなサービスが受けられたとは思い難い。
とはいえ、それならあの食事は?お風呂は?布団は?…確かめるのも怖い。
とにかく、通常の一泊料金を支払って、その旅館を後にした。
後日談となるが、最近ネットで知った情報によると、ある山の奥深くにある旅館で、「妖怪宿体験ツアー」なるものを催しているらしい。
旅館側が趣向を凝らして、日本古来の妖怪出現を演出するとか。
もしかして…これは、アレか?
私は、担がれたのか?
あんな時間に旅館に到着したばっかりに、少し雑で中途半端な体験を演出されたのかもしれない。
障子に映る影絵など、どうとでも投影出来るのではないだろうか。
あの時、二階の物置部屋を確認させてもらえば良かったかな。
あの仲居も仕掛け人の一人だったのかもしれない。
だが…あれから、ネットで調べても、あの日の記憶を辿っても、あの旅館の場所は分からないまま、というか、あんな山奥に旅館など存在するはずがない、という答えに辿り着くのであった。
まさに、日本昔話的オチ、である。
4/19/2025, 2:51:32 PM