わたあめ

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母親のオユンは今年初めて卵を産んだ。
卵を産んで約一月、オユンのお腹の下で卵の中の雛たちが動き出している。オユンはどきどきしながら卵の様子を伺っている。そばでは父親のバトも雛たちの誕生を今か今かと待ち構えている。
コツコツと内側から殻を叩く音が聞こえる。殻の一部分にヒビが入る。小さなかわいいくちばしが覗く。続いて頭。つぶらな瞳がオユンを見つめる。オユンが優しく微笑むと雛は殻から這い出してきた。オユンはこの雛に『リグジン』と名前をつけた。
隣の卵も微かに動き出した。全身で殻を破ろうとしているのか卵全体が激しく動いている。バトは卵が巣から飛び出してしまうのではないかと気が気ではない。パリッと音を立てて殻が割れた。元気な雛が動いている。バトはこの雛に『ジグメ』と名前をつけた。
もうひとつの卵はなかなか動かない。リグジンは卵の様子をじっと見守っている。ジグメはなんとか卵を動かそうとしている。バトとオユンも心配になって外側から殻を叩いてみる。しばらくすると内側から弱々しく叩き返す音がする。
「大丈夫。この子も元気に出てくるわ。みんなで見守りましょう」とオユンは言う。
それから数時間、殻にヒビが入った。みんなが見守る中、そっと外の様子を伺うように顔を出す。
「早く出ておいでよ。一緒に遊ぼう」ジグメが大きな声で呼びかける。その声につられて、3羽目も殻から抜け出した。バトとオユンはこの雛に『ミカキ』と名前をつけた。ミカキの右の翼は左の羽に比べて小さく弱々しかった。


雛たちの誕生から2ヶ月が経った。子どもたちは両親近くてすくすくと成長している。
餌も上手にとれるようになったし、沼での泳ぎも陸の移動も素早くなった。ふわふわだった羽毛もしっかりしてきた。
「そろそろ飛ぶ練習をする時期じゃないか」とバトとオユンは相談している。

天気もよく風もない日を選んで子どもたちの飛行練習が始まった。
まずはバトが飛び立つ姿を見せる。
1番気合いが入っているのがやんちゃなジグメだ。これまでだって羽ばたきたくて仕方がなかった。羽ばたきに必要な筋力トレーニングにも余念がない。
「ぼく、飛んでみる!」
そう言って思いっきり羽を動かす。だが、父親のように空へ飛び立つ事ができない。何度も何度も羽を動かす。ふと身体が水から離れる感覚があった。「あ、浮いた」そう思ったのも束の間はまた身体が水についた。
「今できたよ。見た?」
興奮してバトに話しかけてくる。バトは力強く頷く。

「さあ、飛んでみましょう」オユンの掛け声と共にリグジンが羽を動かす。やはり最初はうまく身体が持ち上がらない。
「もう少し羽を前に向けるといいわよ」オユンのアドバイスに従うとふわりと空に浮いた。驚いているリグジンにオユンはにっこりと微笑んだ。

ミカキは、両親や兄弟や他の仲間たちの飛ぶ姿をじっくりと観察している。力いっぱい羽を動かしたり、羽の向きを変えたりいろいろな工夫をしている。バトとオユンも代わる代わるミカキのそばに行きアドバイスをしたり、飛ぶ姿を見せたりした。
結局この日、ミカキは空に飛び上がることができなかった。

夜、寝床についてもリグジンとジグメは大興奮だ。
「すごかったよね」「飛ぶって楽しいね」
隣でミカキはぎゅっとくちばしを閉じた。
自分だけ飛べなかった。飛べる気が全然しなかった。もし飛べなかったらどうしよう。不安で押しつぶされそうだ。リグジンとジグメが眠りについてもミカキは眠れなかった。そっと起き出して羽を動かしてみる。仲間たちが飛び立つ様子を頭の中で何度も何度も思い返す。


翌日もみんなで飛行練習だ。
リグジンとジグメは要領を得たようで昨日より長く飛ぶ事ができるようになった。両親の合図に合わせてタイミングよく飛べるよになった。
両親や兄弟たちはミカキのそばで何度も飛ぶ様子を見せている。
ミカキは昨日に引き続き仲間たちの動きを観察している。
仲間たちを見ていると空に浮かび上がるタイミングがあるようだ。風を読み、自分の身体に耳を澄ませる。
「今だ!」
ミカキはそう思うと力強く羽を動かした。
身体が宙に浮く。もう一度、もう一度とミカキは無我夢中で羽を動かす。身体どんどん高くなる。
「やったー」「ミカキ、飛んでるよ!」
ジグメとリグジンが下で歓声をあげている。

「飛ぶってなんて気持ちいいんだろう」
実際にはほんの数秒の事だ。それでもミカキにとってはとてつもなく長い時間に感じた。

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お題:高く高く

10/15/2024, 6:33:28 AM