奈都

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お題「ミッドナイト」


真夜中という時間帯は不思議な出会いの時間である。
そもそも出歩いている生物が少ないため、変なものと遭遇する確率も必然的に高くなる。特に、今日のような金曜日ともなれば。

その理屈で言えば、この時間に出歩いてる私もその「変なもの」の仲間入りをしているかもしれないが、私は私を「変なもの」とは認識できないため棚に上げる。

仕事帰りで全身を疲労感に包まれてよろよろと歩いているので、はたから見たらまあ不審者かもしれないが。スーツを着ているのでまだマシだろう。

この時間帯に私がよく出会う変なものは、よたよたしながら酒を浴びている中年や、神待ちと呼ぶんだったか、スマホをいじりながら座り込んでいる女の子、そんな子たちを引っ掛けようとしている男、たまに全裸や半裸の男。
できれば視界に入れずに家に着きたい面々である。

いつもだと駅やコンビニにそれらの人がいることが多いが、今日は仕事の都合で勤務地が少し変わったため、駅もコンビニもないルートを通る。
だから、それらの人たちとは遭遇せずに済むのではなかろうかと淡い期待を持ちつつ、のそりのそりと家までの距離を縮めていく。

街灯は少ない。いや、実家の方と比べると断然多いが、街灯と街灯の間には闇が5メートルくらい挟まれている。

フクロウの鳴く声やカエルの声は聞こえる。
あと、どこかの家で爆音でテレビでもつけているのか、スピーカーを通したような喋り声が聞こえる。
人間の姿はない。

変なものに出会わずに済みそうだとホッとして歩みを進めてると、つま先に何かがぶつかった。

「うおっ!?」

思わず声をあげる。仕事で体力を使い果たしている私の体は、そのまま前のめりに倒れていき、顔面を地面に叩きつけた。

カエルの潰れたような声が出る。疲労と混乱と痛みで涙が出そうになった。
そのとき、体の下で何か音がした。

見下ろしてみると、私が躓いてしまったのは人間だった。真っ黒な服に身を包んでいる。なんならフードもかぶっている。
微かに手が動いているから、死んではいないようだ。

私は慌てて起き上がる。

「ごめんなさい、気づかなくて……大丈夫ですか?」

真っ黒な人に向き直って謝ると、その人もゆっくりと上体を起こした。見慣れない、赤色の瞳が私を捉える。

あ、日本の人じゃないのかな。
そう思って、頭の中で中学英語を思い出そうとしていると、澄んだ音が聞こえてきた。
まるで鈴のような安らかな心地にしてくれる音。真っ黒な人の声だった。

綺麗な声……。
思わずうっとりしてしまったが、それを音としてしか認識できなかった現実を考えると頭が痛かった。
英語かどうかも判別できないのは、明らかに学生時代の私の不勉強が影響している。

「えっと……あなたの言葉分からないんです。って……日本語分からないよね……」

くりくりとした目を向けるだけで、その人は何も言わない。
高くて澄んだ声の持ち主だから女性なのかもしれない。フードを被ったままなのではっきりは分からないが、顔も可愛らしいつくりをしている気がする。

さて、どうしたものか。
交番に連れていくのが一番良さそうだが、急に手を引いて連れていくのはきっと怖いだろう。
恐怖を取り除くにはどうしたらいいだろうか。

「あ、そうだ、一応顔見せてもらえます?」

フードを外す仕草をしながら言うと、その人は言う通りにフードを外してくれた。
柔らかそうな黒髪がフードから解放された。
化粧もしてないのに顔立ちは美しくて、一瞬見惚れる。
小さな口から、また鈴のような声が溢れた。
きっと私がじっと見つめてしまったせいだろう。
私は慌てて小さく両手を上げる。

「綺麗で思わず……って伝わらないか……えっと……どうしようかな……」

不思議そうな目が私に向けられている。
このままでは交番に連れていくのも難しい。かと言って、ここにこんな綺麗な子を放置していったら後が怖い。

悩んでいると、目の前の整った顔も少し曇った。
あ、警戒されてしまったか。
内心しょんぼりしかけると、彼女?は右手の手のひらを差し出した。
なんだろう、握手だろうか。と思っていると、小さな声が聞こえた。
その瞬間、ぽんっという効果音が似合いそうなほど突然、その手の上にノートとペンが現れた。
手元が暗いことに気づいたのか、その子は空いた手で上を指差すと、次は火の玉のような明かりが現れた。

手品か……?と困惑していると、相手はそのペンでノートに何か書き始め、ノートを私に差し出した。

書いてあったのはかわいいイラストだ。

見た目的に自分のことを描いたのだろう。真っ黒なコートの子がいる。目をバツにして口はへの字になっている。

そこから吹き出しがいくつかあり、ひとつは、見たことない文字列が書いてある。少なくとも英語圏ではないようだ。アルファベットでないことは確かだった。

次の吹き出しには、某ゲームのこんがり肉のようなイラストにキラキラがついている。
おなかが空いているということかもしれない。

最後の吹き出しには、家の前で手を広げる女の子のイラスト。髪型と服装から、もしかするとこれは私かもしれない。家に泊めろ、ということだろうか。

「んー……交番に連れてった方がいい気もするけど……」

どうするか悩んでいると、赤い瞳が少し潤んできていることに気づいた。

迷子だしそりゃ心細いか。

ひとつため息をついて、私はその子に手を差し伸べた。

世界地図を見せればこの子の出身もわかるだろう。学生時代の地理の教科書が残っていたはずだ。
あと、私も帰ってご飯食べたいし。交番は明日でいいだろう。

「今晩はうちにおいで。明日、交番連れてってあげるから」

相手はポカンとしている。言葉が通じていないのだから当たり前だ。
ノートとペンを受け取り、最後の吹き出しをぐるぐると丸で囲んだ。
それで伝わったようで、くりくりとした目がさらに丸くなる。
鈴のような音が聞こえて、その子は私の手を握って笑った。

……明日までだし、言葉が通じなくてもとりあえず大丈夫かな。

私はその子と手を繋いで、家に帰ることにした。



その子の故郷が世界地図にないと判明するのは、それから1時間くらいあとのこと。


おわり。

1/27/2023, 1:07:02 AM