濤無

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月夜

窓を開け、夜風にあたりながら
ぼーっと空を見つめる。

何を考えるでもなく、何を見ようとするでもなく
ただ視界も思考もぼやかして、
自らの存在を、夜に滲ませて同化させる。

数年ぶりにまともな仕事についてから、
それが僕の日課になっていた。


残り一本となったタバコを箱から取り出し、
口にくわえる。

こうやってまた吸えるようになったのも、
働き始めたからだ。
ぼやけた夜空に、タバコの煙がたちこめる。

満月の下では、僕も、星も、僕以外の人たちも、タバコの煙すらも等しく同じ存在。

ふぅっと煙を吐いて、
僕は夜との同化を一時停止した。



明日、またタバコを買わなきゃな。
少し奮発して、マルボロを吸ってみようか。


それと、金曜日だから酒を買って、
仕事終わりに呑むんだ。
缶ビールを2本ぐらいにしよう。

つまみは何にする。
カルパス何本ぐらいで
満足した晩酌になるだろうか。

刺し身を買うのもいい。
魚は身体にいいから。
それに、最近少し暑くなってきたから、
さっぱりとしたものが食べたい。



土曜日にはコインランドリーに行って、
洗濯をしなきゃいけない。
散々ため込んでいるからな。
洗濯機を買いたいけど、金は無限に湧いてこないし、買ったとて、見知らぬ人に家に入られると思うと、たまらない。

布団も干さなきゃいけない。
ずっと敷きっぱなしでは、衛生面で悪いから。
布団だってタダじゃないんだ。
大切に使わないといけない。

週末は贅沢をして、いつもより高い肉を買おう。
久しぶりに、りんごも買おうか。

ああ、果物ナイフはあっただろうか。
りんごの皮を剥くには、
やはりそれ相応のナイフでなくちゃな。
でも、もしナイフがなかったとして、
りんごを食べたいためだけに新しいものを買うのか?
それって、無駄遣いにならないだろうか。

金、あったかな。


給料が出るのは20日だし、
色々と照らし合わせて使わないといけない。

三つ折りの財布を取り出し、
中身を確認しようとしたところで手を止める。


静かな夜に、僕の笑い声が
ひたひたとはりついていた。

こういうところ。こういうところだよ。

すべてが面倒になる。頭の中があらゆる思考でごちゃまぜになって、出発地点を見失ってしまう。

明日のことは、また明日考えよう。
その日の気分で、その日を過ごせばいいんだ。


また、僕は空を見上げた。
今晩の月は、また一際と輝いている。

すぅ、すぅ、と僕の息が聞こえる。
僕は生きている。

遠くの方で、車のクラクションが聞こえる。
痴話喧嘩だろうか、若い男女の声もかすかに聞こえる。
空には、無数の星が輝いている。
夜風は不規則に、僕の前髪を揺らした。


僕は、またこの世界の一部になった。

そう思うと、胸の奥の方から
じんわりと嬉しさが押し寄せてきて
僕の身体全体に、染み込んでいくように思えた。

大丈夫、僕は明日からも生きていける。

鼻の奥がツーンとしたけれど、
僕は黙って、空に浮かぶぼやけた月を見ていた。







3/7/2024, 6:32:25 PM