たくちー

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 イタリアの小説に同じタイトルの著書がある。結んでは解け、解けては結ぶ。家族関係の崩壊と再生可能性、時には切断される靴紐の特性を結びつけている。日本語訳も発行されている。
 しかし、翻訳家は著者の意向を損ねないように歴史的背景や生き様を調べるが、それは本当に正しいことなのだろうか?どのように翻訳しようが個人的解釈を無くすことはできない。そもそも翻訳行為自体が言語への冒涜であると言えるかもしれない。それならいっそ自由奔放、自己中心的な解釈があってもよい。

靴紐の結び方も一つではないのだから。



題『靴紐』

9/17/2025, 7:15:33 PM