いろ

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【春爛漫】

 春になるといつだって、あの人の横顔を思い出す。
 温かな陽射しが世界を包み込み、桜が満開に花開く季節。病院の中庭のベンチに腰掛けて、一人きりで文庫本を読んでいた美しい人。はらりと舞い落ちた桜の花びらを拾い上げて、栞のように本へと挟み込んだ彼女の白い指先を、僕は今でも忘れられずにいる。
 彼女の名前は知らない。いったいどんな理由であの病院に入院していたのかも、果たして彼女が今どこで何をしているのかも、祖母の見舞いのために三ヶ月ほど足を運んでいただけの僕には、確かめる術すらなかった。
 だけどそれでも春が訪れ、青空に咲く満開の桜を見上げるたびに、僕はいつも願うのだ。
 ――春爛漫という言葉がぴったりなあの穏やかな午後に一目見ただけの美しき人が、どうか今でもこの世界のどこかで、桜の花を愛でながら本のページをめくっていますように。そう心から祈って、舞い散る桜の花びらを今年もそっと拾い上げた。

4/10/2023, 12:44:24 PM