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だから、一人でいたい。


ざわざわした教室。
入り混ざり合うそれぞれのしゃべり声。
たくさんの物音。
ざわざわ、ざわざわ。
がやがや、がやがや。
耳に圧がかかる感じがする。
苦手だ。
静かな場所に行きたいけど、学校に静かな場所なんてない。
どこにいても、何をしていても、人の声や物音は聞こえる。
だから、学校は嫌いだ。

「ねぇ、一緒体育館行こうよ。」
誘われたのは、私じゃない。
私の隣の子、だ。
そうか、次は体育か。
私も体操服セットを手に取り、教室を出る。
皆、誰かしらと一緒に歩いている。
急に根拠もなく不安になる。
誰でもいいから誰かと一緒にいないと。
一人は駄目だ。
でもすぐに思い直す。
なぜ一人が駄目なんだ?
別にいいじゃないか。
誰にも迷惑かけてないし、自分が誰かといるより一人でいるほうが好きなんだったら
何の問題もないだろう。

突然。
「あっっ」
ガチャッッッとドスッッッが混ざったような音がした。
声を出したときにはもう落ちていた。
筆箱が。
私のじゃないけど。
私より前にいた子が屈んで拾った。
「はい。」
「ありがとー。」
明るいけど、心のこもってないありがとう。
そういう人が多い気がする。
私もなかなかできないけど、
心から感謝の気持ちを伝えられる人って、どのくらいいるのだろう。
大抵の人は、感謝する場面だから、
"とりあえず"言っている感がある。
相手の目をしっかり見て、笑顔で、心から感謝してくれる。
そういう人のためなら筆箱拾ってあげたくなる。。。
いや、やっぱ違う。
私は、私という人間は、人のために何か消費するのが大嫌いだ。
たとえそれがどんなに良い人だろうと。
消費するものは時間でも、体力でも、ペンのインクでも、気力でも全部全部嫌。
他人のために労力を使って、しかも無償で。
私に何の得があるのか。
デメリットしかないことをなぜ自らやらなければならないのか。
自分が落としたなら自分が拾えばいいだけの話だ。
似たようなことを人と話すときも思う。
誰でも、多かれ少なかれ、相手の好きそうな話題、リアクションを探しながら人と話す。
相手に合わせようとする。
合わせなければならないと思ってしまう。
合わせなければ、相手から合わないやつだと思われてしまう気がして。
だから、私は、他人のために自分の気力が削がれることは嫌いなはずなのに
相手にぴったり合わせようとしてしまう。
すると、すごく疲れる。


似た価値観の人だったら、きっと楽。きっと楽しい。
だけど、私の価値観は独特だから
価値観が合わない場合の方が多い。
だから結局人と合わせることが多くなる。
嫌だ。
人と合わせるのって、疲れる。
だったら最初から一人のほうが楽。
でも、一人は楽だけど、ときに辛い。
痛くて苦しくてどうしようもないとき、誰も助けてくれない。
一人で全部の痛みを背負わなければならない。
それでも私は一人がいい。
結局のところ、人に助けを求めても、
自分の求めている助け方でなければ不満に感じてしまう。
ただでさえ今の状況でも余裕がないのに、さらにマイナスの感情を入れたくない。

「だから、一人で居たい(痛い)んだ。」

8/1/2024, 1:59:34 AM