紙ふうせん

Open App

『愛があればなんでもできる?』

私の母の口癖はちょっと普通と違って変だ。
「あんたね、愛があればなんでもできるんだよ!」だった。

だから私はいつも、母に言う。
「愛でお腹は膨れない」「愛で貯金は貯まらない」「愛でアパートは借りられない」「愛で面接は受からない」

いつもいつも、これは親子、逆ではないかと思う。
若い、世間知らずの娘がそういう事を言って、それを親がたしなめる。
それが普通ではないのだろうか?

でも、私はもう母に何も言わない。
母から『愛があれば(以下省略)』は死ぬほど聞かされてきたから。

「お母さんはね、両親にたくさん愛されて育ったから、こんな優しい性格なの、分かるでしょ?」とか、

「お母さんはね、優しい子に育ったから、友達も多かったの。知ってるでしょ?」そして極めつけが、

「お母さんはね、お父さんからたっくさんの愛をもらったから、こーんなに幸せで、だから元気で仕事もできてお料理も美味しくできるの!」と言う。

だから私が先ほど述べたような事を言っても母はびくともせずに

「それはあんたの感謝が足りないからでしょ?お父さんとお母さんの愛に感謝してないから、物事を全てネジ曲がって解釈するの」

「こんなに愛を注いだのだから、あんたは何でもできるのよ!」

それはもうすでに、アイドルのファンクラブ会員証No1番で、狂信的なアイドルの信者にも似ている。
何を言っても駄目なのだ。

「では、お母さんの愛を一身に受けて育った娘の私は、そろそろ学校に行ってくるよ」と皮肉めいた言葉を言っても、母は嬉々として、
「イヤだ、この子ったらやっと分かったの!そうよ〜、行ってらっしゃ〜い!」

私はため息をつき学校に行く。

「どうしたのさ、朝からため息なんてついて」と友達の麻子がバン!と肩を叩く。ゴリラに叩かれたかと思うくらい痛い。骨にヒビが入ったかもしれない。麻子は、良く言えば健康優良児だった(つまりはふくよかなのだ)

「いやー、また、家のお母さんがね」

「まさかまた朝から、おばさんの、『愛があればなんでもできるのよ〜』を聞かされたの?」と麻子が言う。

「そうだよ〜。もう本当にいい加減にしてほしいよ〜」と言って机に突っ伏す。この、不毛な母との会話はいったい何度した事だろう。

「でも、考え方が若々しくていいじゃない、恭子のお母さん。家なんていつも」そういうと、麻子は両手を腰に当て、怖い顔をして、
「いい?麻子。世の中、お金が1番なの。分かるでしょ?私がお父さんでどれほど苦労しているか。お父さんがもっと優秀だったら、もっといい会社に入っていたらこんなにお金の苦労もなかったのに」

「麻子は、お母さんの苦労を見てきているからわかると思うけれど、生活するって大変なのよ。なんと言っても食べていくにはお金がかかるの!だから、あなたはいい会社に入って、お金に苦労しない男を見つけるのよ」

麻子と同じく、麻子のお母さんも話が長いのだ。そして何より、甘いものに目がない。
毎日必ず大福2つとおせんべい1袋は食べるという。麻子は、そのせいで生活が苦しいんだと思うんだけどね、と言う。
「顔なんて、ついてればいいのよ!顔でお金が稼げる?稼げないでしょ?格好良くない、なんて3日で慣れるから、それよりお金のある人と結婚するのよ!」
そう言って、腰から手を話す。

「だから、お母さんが食べ過ぎなんだって。お父さん、いつも文句を言われて可哀想だよ〜」

でも、どちらかというと、母親というものは、麻子のお母さんのような人が大半なのではないだろうか。

だから、みんな高校を卒業すると、ひとり暮らしを始めるのだ。

でも、私はあまり家を出る気にはならなかった。

麻子みたいな思いをしてないし、母とはけっこう仲がいいのだ。

私は机から1時間目の教科書を出しながら言う。
「でも、麻子はなんだかんだ言って頭いいじゃない。それこそおばさんの言うように、いい会社に入ってお金のある人と結婚するかもよ」と言うと、

「恭子〜。私のこのスタイルでモテると思う?」と痛いところを突かれた。

「で、でもさ、男の人って彼女にするのと結婚するのは違うっていうじゃない?麻子みたいに包容力があって料理が上手な人は、男の人には最高じゃないかな〜」とごまかしたが駄目だった。麻子は本当に頭がいいのだ。

「だからぁ、彼女と付き合って結婚するんじゃない?私はどうすれば彼女になれるのさ」するどい。

「世の中、けっこうふくよかな人がいいって男の人が多いじゃない?」と私が苦し紛れに言って、憮然として麻子が口を開こうとしたら、予鈴が鳴った。

帰りは、麻子に捕まらないうちに下校した。

よう、という声で振り返ると
「なんだ、隆か」と言うと不満そうに
「なんだ、はないだろ、なんだは。幼馴染みが挨拶してるんだから、少しは愛想よくこたえろよ」不満そうに言う。
隆とは、家が隣同士なので、もはや家族ぐるみの付き合いだ。

「あっちゃんは?喧嘩したのかよ」と隆が麻子の事を聞いてくる。

「別に。何もないよ。でもさ」と朝話した、麻子との話をすると
「まぁ、確かにあっちゃんのおばさんみたいなのが圧倒的だよな。その点、恭子のおばさんは、進んでいるよ」
そうかなあ。

「家だって、あっちゃんのおばさんと同じだよ、うるさいのなんのって。N大行けってうるさいんだよ。俺の成績で入れるかって話だろ?」と隆は、今朝の私みたく深いため息をついた。

「N大かぁ、ちょっとおばさん、自分の息子の事、全然わかってないんじゃない?」と言うと、隆は顔をしかめ、
「そんなはっきり言うかよ、幼馴染みなのに」ちょっとしょげて見えたので「まあ、元気だしなよ。ねえ!今日は私が特別に隆に好きな物奢ってあげるよ。ただしマ○ドナル○だけどね」と言うと、とたんに機嫌を直し
「やった!!さっすが恭子ちゃん」
何が恭子ちゃんだ。まぁいいや。
私も気のおけない隆と笑って話すのが好きだ。

でも、と考えた。
こんな風に、気のおけない幼馴染みの隆との楽しい時間も、お互い文句を言い合いながらストレス発散している友達の麻子とも、いつかは離れるときが来るのだ。

それはイヤだ、だって悲しいじゃない。
お母さんに言えば、また「愛があるじゃない!幼馴染み愛!そして友達愛!ほらね!愛があればなんにも心配ないでしょう?」と言うに違いない。

でもね、お母さん。
卒業したら現実問題として、どこかの大学に行く事になるんだよ。
出来たら家から通える大学に通って、そこで友達作って、夏休みは麻子や隆と思いっきり遊んで、そして単位の心配をしながら、卒論の準備もしながら、リクルートスーツに身を包み、いろいろな企業を回るんだよ。

そして、どこかの会社に運良く入れれば、そこで働いて誰かと知り合ってつきあって、いずれ結婚するのかな。

なんだか、自分の人生がもう決まったレールの上を粛々と自分の意志とは関係なく進む様でなんだか、それでいいのか、初めて考えて急に怖くなった。

この疑問は、どんな愛があれば解決するのかな、お母さん。

第一、愛があればなんでもできるのかな。

それは、どんな『愛』なの?
お母さん。

5/16/2023, 1:30:34 PM