YUYA

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『ガラスの向こうに揺れる未来』


商店街の角にある、静かなブティック。
そのショーウィンドウには、淡い青のドレスが飾られていた。

凛とした光沢を持つ布地が、店内の柔らかな灯りを受けて優しく揺れる。
マネキンの肩から裾へと流れるようなライン。
繊細な刺繍が施された襟元。
まるで物語の中のプリンセスが、舞踏会に着ていくような美しいドレスだった。

少女は、そのドレスの前で立ち止まる。

「綺麗……」

思わず、そう呟いていた。
けれど、その言葉の後には、すぐに小さな笑いがこぼれる。

(私には縁のないものね)

鏡のように光るガラスに映るのは、地味なワンピースを着た自分。
髪も軽く結んだだけで、おしゃれとは無縁の生活。
恋愛にも興味がなく、毎日ひとりで本を読んだり、物語を書いたりしている。

「こんなドレスを着るような人生だったら、どんな感じだったんだろう?」

そんなことを考えながら、ふと、ガラスに触れた。

——その瞬間、世界が歪んだ。

ヴィジョンの世界

気づけば、そこは見知らぬ場所だった。
暖かな光が差し込む窓辺、繊細なレースのカーテンが揺れている。

そして、鏡の中に映っているのは——
自分。

けれど、違う。

ふわりとした巻き髪、やわらかな微笑み。
可憐なワンピースをまとい、指には繊細なリングが光る。
そして、ベッドの横には、一冊の本。
それは彼女が大切にしている小説だった。
けれど、ページを開くと、どこにも自分の書いた文字はない。

(あれ……?)

そのとき、部屋の扉が開いた。
「お待たせ、今日はどこへ行く?」
そう声をかけたのは、優しげな青年だった。

彼は自然に彼女の隣に座り、手を繋ぐ。
「あのカフェ、新しいケーキが出たんだって。気になるだろ?」
少女は戸惑いながらも、言葉を発する。
「あ……うん。」

心の奥で、何かがざわめく。

(これは……私が選ばなかった未来?)

恋をして、小説は趣味のひとつ。
書くことに焦ることもなく、ただ穏やかに物語を楽しむ日々。
温かくて、優しくて、何の不安もない世界。

「幸せ?」

突然、鏡の中の自分が問いかける。

「この人生なら、きっとずっと穏やかに暮らせるよ。」
「あなたが望んでいた“普通の幸せ”が、ここにあるんだから。」

少女は、鏡を見つめた。

たしかに、この世界は美しい。
けれど、胸の奥で、どこか満たされない何かがある。

「……私は」

言葉を飲み込みながら、もう一度、鏡の向こうの自分を見つめる。

(私が本当に望んでいるのは——)

現実の世界

気がつくと、少女はショーウィンドウの前に立っていた。
指先に、ほんのかすかな温もりが残っている。

ガラスの向こうには、変わらず青いドレスが揺れていた。

手を伸ばせば、もしかしたら手に入る未来だったのかもしれない。
けれど——
「やっぱり、私はこれを着ることはないんだろうな。」

少女は、そっと微笑む。

ガラスに映る自分は、やっぱり地味なワンピースを着ている。
でも、その目は、どこか誇らしげだった。

ショーウィンドウに映る「選ばなかった未来」をもう一度眺め、
少女は歩き出す。

(私は、私の人生を生きていくんだ。)

遠くで、時計の鐘が鳴った。

——まるで、物語の新しい章が始まる合図のように。

3/3/2025, 8:59:55 PM