黒山 治郎

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          ー 「ごめんね」 ー

動詞も名詞も抜けた漠然とした謝罪に
答えを探す為の黙考が数秒間…
当てはまりそうな事象も自分が怒った記憶も
両者共に最近は、とんとなかったものだから
この熟考は無駄に終わりそうだ、とだけ悟った。

然し、口を噤んで答えは一向にくれない相手
これは此方から伺うが吉なのかと
次は自分の中で柔らかめの問いかけを探し始めた。

「え、とね…まず、そのごめんは
私宛であってるの…かな?」

しくじったと言葉の影で僅かに慌てる
此処には私と相手しかいないのだから
これ程に分かり易い方程式も無い
相手の真意が分からないからと
臆病になり過ぎて周りが見えていなかった。

これでは相手から見たら分かりきった事すら
必要以上に探られていると感じる可能性がある
責められているのだと負荷が掛かっているのでは?

「いや、私こそごめんね!私宛だよね!
けどね、あの…
何かあったかなって、考えてみたんだけど…」

私の言葉は途端に千切れて空気へ霧散した
相手の目元には溢れ出た涙が溜まっている
最早、悪循環どころの話では無く
一見すると私しか悪者は居ない気さえしてきた。

一体過去に何があってこんな事態に陥っているのか
どれだ、どれに対しての謝罪だったんだと
脳は現状を忘れフルスロットルで過去を回想する
が、答えの気配さえ掴めそうになかった。

「あのね…」

相手がようやく口を開いてくれた
冷や汗もやっと打ち止めかと心して待つ
安堵は相槌となり相手の話を促す。

「うん、ゆっくりでいいよ」

「あの…」

そうか、相手にも準備が必要なのだ
まだ謝罪だけならば良かったのだが
その言葉の真意を説明するには
自分の非を改めて見つめなくてはならなくなる
それらを加味すると大っ変に心苦しいが…
私には、これ以上に手の施しようがないのだと
願う様な気持ちで言葉を待っていた。

「本当に…ごめんなさい」

違うんだ、謝罪を整え重ねて欲しい訳ではなくて
その内訳をどうにかして私に見せて欲しいのだ
謝る事に勇気を使い果たしてしまったら
この話には本当に後味の悪さしか残らない!
大変なことになってしまった
せめて、ヒントや切っ掛けだけでもくれないと
此方は事象への対応が出来かねる…。

「怒らないで…」

それだ、怒られる恐怖が勝るのなら
私と共に一度、落ち着いてもらってはどうか?
安易な考えだが相手にも余裕は無いのだから
一概に悠長な事だとは、思い至らないだろう。

「…大丈夫だよ、怒ってないからね
そうだ、一度
私と一緒に深呼吸をしてみようか

ゆっくり鼻から息を吸って…
口からそう、息を吐いて〜…

どうかな、少し落ち着いたかな…?」

目元の潤みも肩を揺らしていた嗚咽と吃逆も
心の幕溜まりからは確実にはみ出てはいるが
先程よりは、現状引っ込んだと見える。

「うん、うん、ごめ」

非を認めた者の言葉を遮るのは
成長を妨げるよろしくない行為だと分かっているが
謝罪とは度が過ぎれば遅効性の毒にしかならない
泣くのも謝罪したいのも私の方な気がしてきたが
とにかく、涙が零れる前に言葉ごと慌てて止める。

「大丈夫だよ〜!
ゆっくりでいいから、君の身に何があったか
私に教えてくれるかな?」

ひっくひっくと小刻みに肩を揺らす相手に
心底頼む堪えてくれと際限なく胸は痛んだ
此方も内心は満身創痍なのである。

「あの…ね
お姉ちゃんのカップ…」

ようやく待ち望んだ名詞が現れ
この話にも光が差してきたと
相手に隠れてそっと胸を撫で下ろす。

「大事なの…割っちゃったの…」

ここまで読んでくれた人なら
きっと理解を示してくれるだろう
だから、どうか許して欲しい。

「なんだ、そんな事だったのか〜…!
怪我がなくて本当に良かった…」

そんな事、だなんて
本当は言うべきでは無かったのかもしれない
子供にとっては身を切る様な一大事で
割れたカップは戻っては来ない
しかれども、可愛い妹に怪我はなく
形あるものいつか壊れるのだから
私にとっては君が泣いていた事の方が
余っ程の大事件だったんだ。

     “小さな子供の謝罪は、大人の大きな受難”

5/29/2024, 12:47:08 PM