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大好きな本があった。何度も読んだ。人生を変えたなんて陳腐なことは言いたくないのだけれど、確かにそれは人格形成に大きな影響を及ぼした。死ぬまで持っていたいと思っていた。だから、その本を手放した。おそらく死ぬときは一人きりだ。近日中に突然死でもしない限り、看取ってくれる存在がいないのは間違いなかった。そうして人知れず処分すべき物体となって、この体と同じようにどこかへ捨てられてしまう。もう誰にも読まれることなく。そんな想像をすると耐え難かった。本は燃やして灰にするべきではない。朽ちるまで、本として存在できなくなる日まで、誰かの手元にあってほしい。知識や感情を誰かに継いでいってほしい。でも託せる相手がいなかった。だから、その本を手放した。大好きな本があった。いつか己の手でそれを絶やすことが恐ろしくて、その本を自ら手放した。どこかで誰かがあの本を読んでくれている。そしてまた誰かに託してくれるだろう。そんな夢想の中で消えていきたかった。

6/15/2024, 10:44:52 AM