せつか

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「アタシはああいう生き方は嫌いだね」
彼女はそう呟いてサングラスを外すと、レンズにはぁ、と息を吐き掛けた。薄い水色のクロスを取り出し、色の濃いレンズを丁寧に拭いている。
拭いては光に透かし、再び息を吐き掛けてまたクロスをあてる。枯れた指でそれを何度も繰り返しながら、彼女は言葉を続けた。
「尽くす愛ってのもそりゃあるんだろうけどね。あの子のアレは半分病気だよ。相手を主役にして自分はまるで意志の無いモブみたいにして」
本人がそれを望んでいるのなら仕方ないのではないか? そう問うと「だから嫌なんだよ」と苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あの子はあの子自身が輝く物語の主役なのに今や心身共にボロボロじゃないか。身を削って心を削ぎ落として、それでも相手を立てて·····」
その痛々しい姿は私も知っている。
私は煙草に火をつけて、ゆっくり紫煙を吐き出した。
「でも·····綺麗ですよ、あの人」
――そう。ボロボロに疲れ果てていても、あの人は何故か綺麗だった。洗練された佇まいがあった。
翳りのあるその横顔を見上げた時、私は凄絶な色香を感じた。冴え冴えと輝く夜空の月のような、冷たさと艶めかしさを、「行け」と短く吐き出した声に感じたのだ。

「だから嫌なんだよ」
彼女はまたそう言ってサングラスを掛け直す。
その声には諦めと、慈愛のようなものが混じっているように私には感じられた。
「だから·····嫌なんだ」

暗黒の海を照らす月のように、あの人はあの方の行く道を照らし続けるのだろう。
自分の心がそれこそ月のように細くなっていってしまうとしても。

「おばあちゃん、そろそろ戻りましょうか」
船室へ向かうドアを開ける。
「誰がおばあちゃんだい」
ジトリとした目を向けられて、私は肩を竦めた。
「冷えてきましたからあったかいココアでも飲みましょう」
凪いだ海は真っ暗で。
煌々と輝く白い月だけがぽっかり浮かんでいた。


END


「君を照らす月」

11/16/2025, 4:08:24 PM