「月が綺麗ですね」という言葉が、愛の告白だと知ったのは、いつのことだったか。
当時、学生だった私は、正直、意味が分からなかった。
月が綺麗であれば、何故愛の告白になるのか。
海が綺麗ではだめなのか。景色が美しいではどうなのか。
もっとも、夏目漱石が言っただけなので、一般的な日本の慣用句とは言い難いかもしれない。
夏目漱石にしたところで、『日本人は「I love you」を直訳した「私はあなたを愛している」なんて直接的には言わない。』と言いたかっただけであり、日本人の当時の奥ゆかしさを、日本語訳というより、日本人の言葉として文章を訳したかった、というところなのであろう。
そう、当時の日本人は、愛の告白などしなかったのである。
そもそも、現代的な意味での「愛」は、主に明治時代に翻訳で入り、一般化したのは昭和に入ってからだという。(聞いた話で根拠もない)
そういう知識を知り、歳をとった今なら、分かる気がする。
ただ、同じ時を過ごす中で、日々の喜びの感情を共有したい。それを表現するだけだから、「私は愛している」などと言葉にしないのだ。
だから、「月が綺麗ですね」と言うのだ。
海辺であれば海が綺麗でもいいのだ、花が美しい、でもいいのだ。
要は、「あなたと一緒にいる今、美しいものを見つけてそう感じている私がいます。」と伝えたいから。
どこかの物語で、共感性の低い主人公に、挨拶の意味を言葉にするシーンがある。
「こんにちは、今日はいい天気ですね」という挨拶には、『あなたに会えて、嬉しい』という気持ちを伝える意味がある。
と言うのだ。
当時は、『素敵な解釈(言語化)だ』と思っていたが、これは、一昔前の日本人にとっては、これこそが普通の感覚だったのかもしれない。
*
これまた学生の時、修学旅行で気のおけない友人と夜通し話をしたときだ。
『もっとも恥ずかしいのは、告白の言葉だよな』と言った彼の言葉を、私は覚えている。
全く同感だった。
しかし、歳を経た今は、未だ(多分ずっと)独身の私と、結婚して子どもも作った彼との違いを考えることがある。
彼は、恥ずかしい「直接的な愛の告白」をしたのか。
それとも、月が綺麗だと思うその言葉に共感してくれる素敵な女性と添い遂げられたのか。
私がそう思うことも、日本人的には、下衆な勘ぐりであろう。
私は、恥ずかしい「直接的な愛の告白」などできるとも思えない。
しかし、朝の挨拶はできるのだ。
「おはようございます。今朝も寒いですね」
と。
1/29/2024, 9:10:38 PM