紫月

Open App

『同情というよりも、言葉にしにくい感情/実体験』


 「貴女、恋愛ドラマも映画も見ないの!?」

 信じられないという顔をして、私の上司が大きな声をあげる。思わずという風を装っているが、この場にいる全員に聞こえるように計算された演技である事は間違いない。

 「ああ、だから貴女は人の気持ちがわからないのね。よく優しい優しいとお客さんに言われてるけど、私から見れば偽善でしかないのよね。上っ面だけ。私みたいな百貨店経験者や、丁寧な接客を受け慣れている人だとすぐにわかるわ」

 ねえ?と、意地の悪い顔で笑うこの上司なのだが、とにかく仕事は出来すぎるほど優秀で、誰からも好かれていないが誰もが彼女の能力を認めているという厄介な存在である。さらに厄介なことに、仕事の面では皆が認めているのだから、それを誇りに思っていればいいものを、とにかく自分より格下だと認識した者より何か一つでも劣っている事が許せない性質をしていて、格下認識した相手に対しての嫌味が抑えられないのである。

 今日のターゲットは私かと、最早こうなると適当に話を合わせて、さすがです、知らなかったです、すごいですね、そうなんですね、勉強になります、やってみますねと、合コンマニュアルに載っていそうな言葉を返して、嵐が過ぎ去るのを待つのみだ。

 「ちゃんと恋愛ドラマや映画を見て、相手の気持ちが想像できるようにならないと駄目よ?私のオススメはね──」




 「あー、これ懐かしい」

 それから数年が経ち、もうすでに退職した身であるにも関わらず、その強烈過ぎる上司は、強烈過ぎた故に、様々な事柄で私の脳内にラ◯ュタのように何度でも蘇ってくる。今回は、上司がオススメだと言っていた恋愛映画が地上波で放送されるというCMが記憶の鍵であった。良い映画ではあると思う。ありきたりの人物背景、ありきたりの内容、話のオチが読める展開、それらが綺麗にまとまっていて「作品」として優れているのは間違いないと思う。しかし、思うにこれは「作品」なのである。この作品を見て恋を学びなさいというのは、小学生が少女漫画を読んで「大きくなったら、こんな素敵な恋愛をするのね」と思う事と大きな違いはないと思う。

 幸いにも人の気持ちがわからないと評された私は、良い人と巡り合い、親になる縁を持つ事が出来た。恋愛映画やドラマを好き好んで見る事はついぞ無かったが、それでも手に入れる事が出来たのは運が良かったからか、教本を間違えなかったからなのか。

 このご時世、恋愛や結婚をしなくとも楽しく生きていけるが、この中の誰よりも恋愛に詳しい、誰よりも情熱的な恋をしてきたと語っていた上司が、今も出生時の名前で働き続けているのを知っている私は、彼女を思い出すたびに何とも言えない気持ちにさせられるのだ。


2/20/2024, 2:55:00 PM