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新年

2025年 令和7年1月1日
記してみたかった(笑)

2年続けて喪中のお正月は静かに過ぎています。家族は増える時期を過ぎて巣立ち逝き今年は子供夫婦と言われ続けていた私たち長男夫婦二人だけで元日の朝を迎えました。なんだか静かでのんびりなアラ還夫婦の元日でした。明日辺りから既婚者組が帰省して独身組が続き忙しくなる前の静けさ。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

とは、まさにこのことであろうと思う穏やかな小春日和の正月は、遅寝して香の香りたつ仏間で新しく夫の実家から越していらした先祖代々の仏壇に並んで手を合わせる、最初の正月。私たち子供夫婦と呼ばれた夫婦もご先祖様が睡る仏壇を祀る立場になりました。末代の恥にならぬようにお祀り致します、、久かたの光のどけき初春に 静心なく花の散るらむ。春の句ですがそんな春の日を思い起こさせるような、やわらかな日差し差す、春の寝息が聞こえて来るような元日でした、ありがとうございます。

他力本願とは、まさにこういうことです。

親肉親との別れの朝を迎える日は悲しみにつつまれて喪に服し、季節は移ろい、やがてやわらかな日差し差す日を心静かに迎える日があるということ。

諸行無常、他力本願とは決して何もしない怠けて人を充てにする時に言い訳する言葉ではありません、よく考えて使いましょう。

最近よく思うのは、日本語の意味合いが随分若い人たち分からなくなってるのだなと気づくことがあります。例えば暮れの元気のご挨拶「つまらないものですが」は日本人独特の謙遜の美徳の心を表現する言葉だが今や死語(笑)「つまらないものですが」は、自分が贈る時は「つまないものですが」「残りもので申し訳ないですが」「食べきれないのでお裾分けです」ですが貰った方は、「つまらないもの」でも「残りもの」でも「お裾分け」でも「台所の隅に置いておくもの」でも「お心遣いありがとう御座います」「結構なものを」「美味しく頂きました」で当たり前ですが返します。表現する時も、自分が贈る方なら「クズ」と表現しようが「つまらないもの」と表現しようが値打ちは下がりませんが、戴く側が相手がそう言ったからと戴いたものを「クズ」やら「つまらないもの」やらと表現すると、バカ丸出しになって得意の品性ってのが感じられなくなる日本語のマジック日本人の美徳は失われて行くようですが、覚えていたいものですね。

そんなところに諸行無常を使うようには、ならないぞと思った新年でした。


令和7年1月1日 
  
               心幸
    


1/1/2025, 3:24:11 PM