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#安心と不安
 
 
 
 
 茶色いねずみと、灰色のねずみは、一緒に旅行する約束をしました。
 
 一ヶ月前になると、茶色いねずみは旅先のくわしい地図を手に入れました。
 ぜったいに見るべき建物に丸をつけたり、おいしい食べ物やら定番のおみやげやらをリサーチしたり、準備に余念がありません。
 
 二週間前になると、茶色いねずみは旅の日程表をノートに書き上げました。
 美術館のひらく時間、チーズ工房見学ツアーの出発時間、バスや鉄道の時刻もびっしり書きこんであります。何度も、何度も、頭のなかで試行錯誤した、いちばん欲張りで、いちばん効率のいいルートです。だれが見ても、完璧です。
 一方、灰色のねずみも旅行先のガイドブックを手に入れました。ベッドに寝ころんでページをめくりながら、おいしそうなご飯やきれいな街並みにうっとりして、約束の日をワクワクしながら待っています。
 
 一週間前になると、茶色いねずみは荷造りをはじめました。もっと早くはじめる予定だったのですが、旅行のために新調したスーツケースが、なかなか届かなかったのです。
 部屋の真ん中にスーツケースをひろげ、着替えを詰めて、タオルと毛づくろい用ブラシを詰めて、靴下と、靴下の予備も詰めました。
 もしかしたら、むこうは寒いかもしれない。上着とひざ掛けを、もう一枚ずつ詰めます。もし、食べものが口に合わなかったら。お気に入りのチーズミックスを二袋、ひざ掛けの横に詰めます。転んでケガをしたら、どうしよう。ちいさな救急箱を、チーズミックスの横に詰めます。むこうで友だちができたりして。こちらの街のおいしいブドウジュースを三缶、救急箱の上に詰めます。灰色のねずみが、忘れものをするかも。予備の着替えと、靴下と、タオルを、ブドウジュースの下に詰めます。
 あんなに大きく見えたスーツケースは、もうパンパンです。忘れているものが本当にないか、茶色いねずみは旅行の前日の夜遅くまで部屋をウロウロして、何度も、何度も、確認しました。
 
 とうとう、約束の日が来ました。
 朝、駅に集まった二匹は、お互いを見てびっくり
しました。
 
「スーツケースはどうしたの?まさか、その
ちっちゃなカバンだけなんて、言わないよね?」
「キミこそ!そんな大荷物で、夜逃げでもするの?たったの二泊三日だよ?」

 列車に乗りこんでからも、お互い、驚くこと
ばかりです。
 
「日程表だって?うわぁ、すごく細かい!こんなによく調べたねぇ!」
「キミこそ、なにも調べてないの?うそでしょ!二週間もまえに作戦会議したのに!」
「たぶん、行けばわかるよ」
「入り口まで行って、休館日だったら困る。ムダ足
はごめんだよ」
「べつの場所を探せばいいよ」
「そこも閉まってたら?チケットが売り切れだったら?バスがちっとも来なかったら?」
「まあ、なるようになるさ」
「テキトウだなぁ!」
 
 しばらくおしゃべりしていた二匹は、おかしなことに気づきました。
 列車が出発しないのです。出発時刻を、もう20分も過ぎています。
 ザーザーと、車内アナウンスが流れました。
 すこし先の踏切を、羊の群れが渡っているようです。かなり大きな群れのようです。
 茶色いねずみはソワソワしながら、日程表を確認
しました。
 この列車が到着したら、まずはホテルに荷物を預けて、街を一周する遊覧ボートに乗る予定になっています。「12時から、40分」そう書いてあります。もう間に合いそうにありません。次のボートは13時です。でも、13時にはお昼ごはんを食べる予定なのです。さもないと、14時からの地下道探検ツアーには腹ぺこで参加することになってしまいます。

 列車が出発する気配は、ちっともありません。
「羊の通過に時間がかかっています」と、車内アナウンスが繰り返しています。
 茶色いねずみはソワソワしながら、時計と日程表を何度も、何度も、何度も、確認しました。
 
「まあ、落ち着けって」
「でも予定が!計画が!楽しみにしてたのに!」
 
 灰色のねずみは、茶色いねずみを見つめました。
 茶色いねずみが握りしめている日程表と、荷物置き場を占拠している大きなスーツケースに目をやって、小さくため息をつきました。

「ねえ、キミ。完璧な計画なんて、存在しないよ。完璧な準備も必要ない。ボクたちは遊びに行くんだよ。大事なのは、ハプニングすら楽しむ気持ちさ」
「だけど、遠くまで出かけるのに!取りこぼしがあったら、困るよ!ぜんぶ見て帰らなきゃ、じゃなきゃ、もったいない。だって、せっかく行くのに!」
「ボクが思うに、キミの日程表に詰まっているのは、キミの不安だよ。ボクたちがどんなにスカスカの旅行をしたって、価値があるかどうか、決めるのはボクたちだ。他のヤツらに口出しされる筋合い
なんて、あるもんか」
 
 茶色いねずみはびっくりして、灰色のねずみを
見つめました。
 子ねずみだった頃、よく、お母さんねずみに言われた言葉を思い出しました。
 
『あらまあ、こんな石ころを拾ってきたの?もったいない、せっかく森へ行ったのに』
 
 心の奥にずっと刺さっていたトゲが、とけていくのを感じました。
 とけたトゲが、目からポロポロ、流れだして
きました。
 となりに座った灰色のねずみは、泣いている友だちを、みじかい腕で、ぎゅうっと抱きしめてやりま
した。
 
 




 

1/26/2024, 7:19:56 AM