"バレンタイン"
「よう、お疲れ」
今朝、夕方にいつもの休憩スペースに来るよう、メッセージを送って数分後に【分かった】と返信が来たので、約束通りの時間に休憩スペースに来たら、飛彩の姿が無かったので座って待っていた。
五分程経って飛彩が来たので、片手を挙げて労いの言葉をかける。
「待たせて済まない」
そう言いながら近付いて、椅子を引いて座ると率直に聞いてきた。
「急にどうしたんだ?」
連絡したその日に呼び出されれば、気になって当然だ。
テーブルの下の、もう片方の手の中の物がその答えになる物だ。
百均に売っている、安っぽい小箱。
中には、ココア生地のチョコチップクッキーが入っている。
本当は市販の物を買って渡そうと思っていたが、それは目の前の甘党には、市販の物を渡すなど高難易度すぎるので即却下となった。
そうなると手作りのチョコレート菓子になるが、チョコレートケーキやチョコレートマフィンなどは手間と時間が大幅にかかる。作っている時間が無さすぎる。
消去法で結局、いつも作っているクッキーにアレンジを加えるだけとなった。
生地に溶かしたチョコレートを混ぜようと思ったが、それは牛乳やバターの分量を細かく逆算する必要があり、そこまでしている時間も無かったので、ココアパウダーにチョコチップを混ぜ込む事に決めた。
だが問題は一つ。ちゃんといつも通りの温度と時間で焼いたはずだが、黒っぽい見た目の為焦げているかどうか確認しづらかった。
箱に入れる時に軽く見たが、本当に焦げていないか自信が無い。
「どうした」
黙りこくる俺に痺れを切らしたのか、言葉を促すように言葉を投げかけてくる。
意を決して、箱をテーブルの上に出す。
「……これっ」
やる、と小声で続ける。箱を手に取って「これは?」と箱に向けていた視線を上げて聞いてきた。
「今日……何の日か知ってんだろ」
バレンタインだ、と言うのがとてつもなく恥ずかしくて、遠回しな言い方になる。
だが目の前の本人は「今日?」と呟いた。
──まさか……。
「今日は何日だ?」
と聞いてきた。
「はぁ……」
──やっぱり……。
数週間前、今後の予定の為いつものように分かる範囲内のスケジュールを教えてもらった時に、その可能性を考えていた。
「お前……徹夜したりしてねぇよな?」
「していない。必要な睡眠時間の確保をした上でのスケジュールだ」
「ならちゃんと毎日カレンダーを見ろ」
仕方ない、とスマホを取り出してカレンダーアプリを開き、今日の日付けとその下に【バレンタインデー】と書かれた画面を突き出す。
数秒後「あぁ」と声を漏らして顔を上げた。
「中身はチョコレート菓子か」
予想を呟き、「開けていいか?」と聞いてきた。どうぞ、と箱を開けるよう促すと、丁寧に箱の蓋を開けて中を覗き込んで、中から一枚取り出す。
「チョコチップを混ぜ込んだクッキーか。生地はココアか?」
「正解」
一口齧って咀嚼する。数十秒後喉仏が下がって、嚥下した事を確認すると、緊張で心臓の拍動が速くなる。
「……美味い」
その言葉を聞いて、胸を撫で下ろす。
「そりゃあ良かった」
だがそれを表に出さぬよう、平静を装って言葉を発する。
飛彩は静かに一枚を平らげる。気に入ったのか、その顔は僅かに綻んでいた。
平らげると自前のハンカチで手を拭って箱の蓋を閉じた。
「残りは家で大事に食べる。お返しは必ずする」
「いらねぇよ。後で感想くれるだけで良い」
そう言うと「分かった」と答えた。
──これ絶対分かってないやつだ。
小さく呆れのため息を吐く。
「時間大丈夫か?」
そう聞くと、腕時計の文字盤を確認して「そろそろ行かなくては」と小さく呟いて顔を上げる。
「早く行ってこい。俺ももう少ししたら帰る」
「そうか」
そう言って立ち上がり、踵を返して廊下に出ると、こちらを向いて「また」と告げる。俺も「おう、またな」と返す。
俺の言葉を聞くと、柔らかく微笑んで壁の向こうに消えた。
その背中を見送ると、テーブルの下で握り拳を作った。
2/14/2024, 2:25:37 PM